「しんどい思いをしていたら、いつか花開く」/ 松山商業 矢野勝嗣選手

1996年の夏の甲子園で、5度目となる全国制覇を成し遂げた、愛媛県の松山商業高校。

当時、背番号9を背負いながら、チームの控え外野手として、優勝に大きく貢献したのが、矢野勝嗣選手である。

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矢野選手は、名門、松山商業に進学するも、周囲の選手のレベルの高さや、厳しい練習に苦戦していた。

それでも、努力を続けたことで、最終学年となったセンバツ大会では試合に出場するなど、レギュラーの座を獲得しつつあった。

しかし、投手交代を外野とマウンドで行うといった、チームの投手起用の都合と、打撃不振により、背番号9ながらも試合の出場機会は減り、夏を直前に控えになりつつあった。

また、チームの名物練習であった、全員がノーミスで終わるまで行う、完璧を目指すノックで、ミスを繰り返しては、チーム内から厳しい言葉をかけられていたこともあり、何度も退部も考えていた。

それでも、悔しさを糧に練習に打ち込み、最後の夏甲子園にも出場を果たすと、最終回の土壇場で出場した際には、現在では伝説として語り継がれている「奇跡のバックホーム」でサヨナラのピンチを防ぐ大活躍を見せた。

続く延長では、先頭の矢野選手の二塁打をきっかけに勝ち越しに成功するなど、まさに、全国制覇の立役者となったのであった。

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