「甲子園があるからどんな辛い練習も頑張れる」/ 明豊 大畑蓮選手

2019年のセンバツで、優勝候補を次々と倒し、学校史上初となる甲子園のベスト4進出を果たした、大分県の明豊高校。

当時、主に救援として出場していたのは、最速147キロ直球と多彩な変化球を武器としていた、大畑蓮選手である。

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大畑選手は、小学生時代から野手として軟式野球を始めると、明豊の付属中学へ進学後に、投げ方や球筋の良さが評価され、投手へと転向した。

明豊高校へ進学後も投手を希望していたが、当初は周囲のレベルの高さに圧倒されたり、初の硬式野球に慣れるまでに時間を要するなど、苦戦を強いられていた。

それでも、日々の投球練習や過酷なトレーニングにも積極的に取り組み、長身という体型を活かした角度のある速球を磨き上げたことで、2年春にはベンチ入りを果たした。

2年の夏以降の新チーム結成時には肩の怪我を発症するなど、アクシデントに見舞われるも、割り切って治療とトレーニングに時間を割いたことで、安定感のある投球ができるようになり、秋の九州大会ではチームの準優勝に大きく貢献した。

そして、冬場に課題の体重の増量と、体全体の筋力アップを行ったことで、自己最速記録を次々と更新し、センバツ直前には、エース級にまで成長を遂げた。

その結果、迎えたセンバツでは、全4試合に救援としてマウンドに立ち、約11イニングで11個の三振を奪い、チームを初の甲子園4強へ導くなどの活躍を見せたのであった。

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