「1-0で負けようが、100-0で負けようが、負けは負け」/ 明徳義塾 馬淵史郎監督

昭和57年の初出場以降春夏合わせて、甲子園で50 を超える勝ち星を挙げ、平成14年の夏の甲子園では、全国制覇を成し遂げている高知県の強豪、明徳義塾高校。 

甲子園に出場する度に上位進出を続けていることから、ファンからは、「四国の横綱」とも称されている。

そんなチームを平成2年より指揮をとり、平成の30年間で甲子園で50の勝ち星を挙げるなど驚異的な実績を持つのが、馬淵史郎監督である。

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馬淵監督は、「勝利」というものに対する気持ちが強すぎるあまり、大胆な作戦で批判を浴びることも少なくない。

平成4年の星稜戦で松井秀喜選手に対して「敬遠」を指示した際には、「勝利至上主義」と猛烈なバッシングを受け、社会問題にまで発展した。

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敬遠」=「逃げ」や「ズルイ」という批判は多かったが、馬淵監督は、ルールに従い、無条件で走者を出すリスクを背負い、ある種の「勝負」をしていた。

データ収集や弱点を攻めることなどと同等に、勝つための最善の策を考えたり指導することは、勝負師としては当然のことなのだろう。

あまりにも「正直」すぎることから、反感を買ってしまうこともあるが、その人間性こそが「馬淵野球」の良さであり、明徳義塾の強さなのだろう。

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