「相手を見上げてしまったら絶対に勝負には勝てない」/ 大阪桐蔭 萩原誠選手

1991年の甲子園に、春夏連続で初出場を果たし、センバツでは8強、選手権では全国制覇を成し遂げた、大阪桐蔭高校。

そんなチームの4番打者を務めていたのは、高校通算58本塁打を記録し、大会屈指のスラッガーとして注目されていた、萩原誠選手である。

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萩原選手は、中学時代に、主将としてボーイズリーグの大会で全国制覇へ導くなどの実績を残していたが、強豪校ではなく、当時無名の大阪桐蔭へ進学した。

創部間もないチームということもあり、ルールや設備が充実しておらず、監督と衝突することもしばしばあり、周囲からやんちゃ軍団として認識されていた。

それでも、仲間の言葉を信用することを徹底し、お互いに注意をし合ったり、励まし合うことで、底上げとチーム力の強化を行なっていった。

また、練習後には欠かさず選手だけでのミーティングを行い、課題を反省しては、克服のための意見を話し合うなど、現在にも受け継がれるような伝統も作り上げていった。

迎えた、初の甲子園では8強で敗れるも、夏の選手権では、決勝まで勝ち進み、初出場初優勝の快挙を成し遂げたのであった。

萩原選手もまた、強豪校相手にも怯むことなく練習の成果を出し切り、夏の甲子園では、3本塁打打率.688の好成績を残し、優勝に貢献したのであった。

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