「セカンドに打ってしまえば望みはありません」
2008年 第90回全国高等学校野球選手権記念大会 決勝戦 大阪桐蔭 (北大阪代表) × 常葉菊川 (静岡県代表)
2008年 第90回全国高等学校野球選手権記念大会 決勝戦 大阪桐蔭 (北大阪代表) × 常葉菊川 (静岡県代表)
「結果」以上に、「選手」を大切にする指導スタイルで、低迷しつつあった名門、静岡高校を復活させたのは、栗林俊輔監督である。 栗林監督が就任した際の静岡高校は、地区の私学勢の躍進もあり、力のある選手が在籍していながら、甲子園 … “「甲子園に出場したことで満足している選手はいらない」/ 静岡 栗林俊輔監督” の続きを読む
2015年の甲子園に春夏連続で出場し、16年ぶりの出場となったセンバツでは、チーム最高成績に並ぶ、8強まで進出した静岡高校。 当時チームの打線の中軸を担い、3季節連続の甲子園出場に大きく貢献していたのが、正捕手を務めてい … “「自分が足りないと思ったことは、自分で考えて練習する」/ 静岡 堀内謙伍選手” の続きを読む
1896年の創部後、春夏合わせて40回を超える甲子園出場を記録し、1926年には全国制覇を成し遂げている、静岡高校。 そんな伝統と実績を持つ名門を、2008年から指揮しているのは、静岡県内の複数の高校で監督を務めていた経 … “「勝負のときは、長所でどれだけ相手と戦えるかにかかってきます」/ 静岡 栗林俊輔監督” の続きを読む
2008年の夏の甲子園で、フルスイング野球を軸に5試合で35得点を挙げて、準優勝を成し遂げた、静岡県の常葉菊川。 当時、2番セカンドとして、攻守にわたる活躍を見せ、チームを支えていたのが、町田友潤選手である。
2007年の夏の甲子園で、後のプロ野球選手4人を擁したメンバーで、準優勝を成し遂げた、広島の広陵高校。 当時主将として、広陵高校を40年ぶりに夏の決勝へと導いたのが、後にプロ入りを果たした、土生翔平選手である。
2007年のセンバツ大会で、優勝候補を次々と下し勢いそのままに、頂点に立った常葉菊川(現常葉大菊川)。 続く夏は甲子園四強、翌年の夏は甲子園準優勝を成し遂げるなど、初優勝時まで、甲子園で1度も勝てなかったチームは、一気に … “「好きになってくれないと絶対上手になりませんからね」/ 常葉菊川 森下知幸監督” の続きを読む
大正15年の夏の甲子園制覇を成し遂げた東海地方を代表する名門静岡高校。 昭和35年、48年の選手権では、甲子園準優勝を記録し、その後平成初期は甲子園から遠ざかったものの、平成27年のセンバツには8強入と、現在も躍進を続け … “「最高にできることより、最低限これができるというものを作る」/ 静岡 栗林俊輔監督” の続きを読む
大正15年の夏の全国制覇を成し遂げた東海地方を代表する名門校、静岡高校。 その後も昭和35年夏、48年夏に甲子園準優勝を経験し、平成初期は甲子園から遠ざかったものの27年のセンバツには8強入と、現在も躍進を続けている。 … “「選手を大切にする指導」/ 静岡 栗林俊輔監督” の続きを読む