1980年代を中心に、一時代を築いた大阪の名門・PL学園。
甲子園で残した圧倒的な勝率、優勝回数から、「昭和最強」の呼び声も高い。
そんな名門を80年から98年春まで、指揮していたのが、名将中村順司監督である。
中村監督は、81年のセンバツを制すると、翌春も制して連覇を達成すると、83年夏を制して、84年春の決勝で敗れるまで、甲子園無傷の20連勝を記録している。
甲子園での監督通算成績は、春夏連覇を達成した87年など6度の全国制覇、58勝10敗、勝率は.853、と驚異的な数字である。
中村監督の指導方針は選手たちに「野球を嫌いにさせないこと」であった。
コーチ時代は、補欠選手の指導担当であった中村監督は、親元を離れて「夢」を叶えるために入学してくる選手たちの気持ちが、レギュラー選手たちと同じであることを理解していた。
だが、補欠選手の中には試合や練習の機会を与えてもらえず、卒業や退部をしてしまい、野球を辞めてしまう選手もいた。
そういった選手を一人でも減らし、野球を好きなまま卒業してもらうためにも、先輩と後輩、レギュラーと補欠に関係なく同じ練習をさせていた。
そして、一人当たりの練習時間が少しでも増えるように、全体練習の時間を減らし、自主練習を増やしていた。
試合では出場する度に「優勝候補」として周囲から期待されることも多かった選手たちをリラックスさせるためにも「勝とう」や「全国制覇」といった目標を口に出さず、「校歌を歌おう」など、言葉一つのも細かく気を配っていた。
高校時代に全てを捧げるのではなく、次のステージのためのステップとして、「成長」させる中村監督の指導が、PL学園の黄金期を支えていたのだろう。
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