「自分が一番苦手なもので、自分をつくりあげていかないとダメ」/ 帝京 前田三夫監督

昭和の終わりから、平成の中期にかけて「東の横綱」と称されていた、都の名門、帝京高校。

そんな名門を一から作り上げ、甲子園で通算50勝を超える勝ち星を上げているのが、前田三夫監督

前田監督自身は選手として甲子園出場経験がないものの、監督としては春夏3度の全国制覇、2度の準優勝へとチームを導いている。

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そんな前田監督のスタートは、スパルタ式の指導に選手が逃げ部員は10分の1まで減るなど、思うようにいかない日々が続いていた。

しかし、監督の努力と熱意で、選手たちとの距離を徐々に縮め、昭和53年のセンバツで初の甲子園出場を決めたのだった。

その後は、甲子園では成績を残し始めていたものの、優勝の二文字が遠くあと一歩の壁に阻まれていた。

そんな時、甲子園で勝ち続けるチームを目の当たりにし、監督自身が変わらなければ甲子園で勝てないことを学んだのだ。

野球部を一から育て上げたことで、どこか満足し過信していた部分が、甲子園で勝ちきれない原因だったのだ。

自らも選手たちと共に苦手なことや嫌いなものに取り組み、選手の気持ちを理解し「自信」となる苦労を学んでいった。

やがて、選手と監督の努力は実を結び、1989年夏に初の全国制覇を成し遂げたのだった。

平成の中盤以降は甲子園から遠ざかっている名門と名将。

新たなる壁を自ら作り自ら乗り越えた時、帝京が甲子園に帰ってくるだろう。

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