令和初の甲子園で、悲願の甲子園優勝を成し遂げた、大阪府の履正社高校。
チームを1986年から指導しているのは、選手時代に東洋大姫路の主将としてセンバツベスト4進出へ導いた実績を持つ、岡田龍生監督である。
岡田監督は、就任時には同好会にも等しく、未経験者を含む部員11人の無名の野球部を、全国トップレベルのチームへと育て上げた。
監督就任当時は、無名校であったため、簡単には選手は集まらず、専用グランドもないなど、環境が恵まれない状態でのスタートとなった。
それでも、徹底した基礎基本の反復練習や、空きスペースを有効活用した練習を続けたことで、就任から10年で、甲子園出場を果たした。
しかし、結果を求めるあまりに、「行き過ぎた指導」を行い、2002年には謹慎処分となり、チームも低迷し、甲子園から10年近く遠ざかることとなった。
謹慎によって、それまでの方針を改め、自ら考えて動ける、「自主性」を重視した指導を確立した履正社は、選手一人一人の個性や考えがプラスに働き、全国の舞台でも戦えるチームへと成長を遂げた。
2014年、17年のセンバツでは準優勝を、16年の神宮大会、19年の選手権で優勝を成し遂げ、勢いにのる履正社の更なる躍進に目が離せない。
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