2011年、東日本大震災によって、練習時間や場所が確保できていない状態で出場し、夏の甲子園で初戦突破を果たした、福島県の聖光学院。
当時のチームを支えていたのは、後にドラフト2位でプロ入りを果たす、歳内宏明選手である。
歳内選手は、2年時の夏の甲子園では、魔球と称されるスプリットを武器に、チームを8強へと導くなど、活躍を見せていた。
入学当初から、130キロを超えるストレートで、強豪相手にも、堂々した投球を披露していた反面、格下相手に対しては、手を抜いたピッチングをするなど繰り返していたことで、チームからは信頼を得られていなかった。
そんな状態が続き、2年生の4月には、先輩や監督から「クビ」を宣告されてしまった。
これを機に、歳内選手は、自分の力に過信して、自己中心的なプレーになりつつあったことを見つめ直し、チームのためにできることを模索し始めた。
最終学年となった秋には腰痛に苦しめられ、春には震災が起こるなど、野球に集中できない状態が続いた。
それでも、支えてくれた人たちへの「感謝」を伝えることや、被災者へ「勇気」を届けるためにという、気持ちを胸に最後の夏に挑み、甲子園出場を果たしたのであった。