1977年の夏の甲子園で、下馬評を覆す快進撃を見せ、準優勝を成し遂げた愛知県の東邦高校。
当時、1年生ながらチームの主軸投手を務めていのは、ファンから「バンビ」と称され多くの注目を集めていた、坂本佳一選手である。
坂本選手は、中学時代まで軟式野球を続けていたが、外野手の補欠であったため、全国有数の強豪校、東邦へは、推薦ではなく一般入試で進学した。
しかし、東邦入学後は、名将、阪口慶三監督に直接入部を志願し、その熱意が認められると、肩の強さが評価され、坂本選手にとっては初の硬式野球での投手生活がスタートした。
慣れない硬式野球に、初めのマウンドなど、入部当初は苦戦を強いられるも、人一倍の練習量をこなし、1ヶ月程で変化球も取得するまでになった。
また、上級生の打線の援護や、周囲の支えにも助けられていたことに対する感謝の気持ちを持ちを、投球込めたことで、本来の力以上のものが発揮され、成長を後押ししていった。
迎えた、初の夏大会では、入部から僅か3ヶ月という驚異的なスピードで、愛知大会の優勝投手になると、背番号1をつけた甲子園でも決勝を含む全試合に登板を果たした。
決勝では、延長10回の末、サヨナラ本塁打で敗れるも、堂々たる準優勝を成し遂げ、その名を球史に残したのであった。