2季連続出場となった、1975年のセンバツ大会で準優勝を成し遂げた、神奈川県の東海大相模高校。
当時、2年生ながらチームの快進撃に貢献したのが、監督の原貢氏の息子として注目されていた、原辰徳選手である。
原選手は、父親が指揮する東海大相模へ進学すると、1年時から背番号を貰い、甲子園に出場すると8強進出に貢献するなど、輝かしいスタートを切った。
その一方で、監督の息子という肩書きだけでは、レギュラーにしないことを徹底していた父の厳しい指導もあり、怒られ役になることも少なくなかった。
愛のムチという言葉で体罰が行われていた時代背景もあり、原選手も理不尽に怒鳴られたり、他の選手以上に鉄拳制裁を受けたこともあった。
それでも、全国で勝てる野球を作る父を尊敬し、最大の親孝行である全国制覇を目指し、人一倍の努力で、周囲が認める実力を身につけていった。
また、野球だけでなく、上下関係や挨拶の大切さなどの人間教育も受け、人としても成長したことが、技術の進歩を支えていった。
迎えた2年の甲子園では、春夏連続出場し、センバツでは延長戦の末敗れるも、準優勝を果たし、続く3年も、神奈川大会3連覇という偉業に大きく貢献したのであった。