「苦労したかどうかは、自分じゃなくて周りの評価で決まるもの」/ 東海大菅生 若林弘泰監督

1996年の甲子園初出場から、全国から注目を集める存在となった、東京の強豪、東海大菅生

2017年の夏の甲子園では、4大会連続初戦敗退の連敗を止め、勢いに乗り四強まで勝ち進んだ。

そんな東海大菅生を指揮しているのが、投手として社会人野球やプロの世界での経験がある、若林弘泰監督である。

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怪我により現役を引退し、転職などを繰り返しながら大学に通い、教員免許を取得すると、2009年に東海大菅生の監督に就任し15年のセンバツへチームを導いた。

若林監督は、選手たちに他人と比較せず、自分自身と向き合うよう指導している。

年末と年始には毎年、体力と精神力を強化する合宿を行い、ランメニューを中心に徹底的に自分自身と「弱さ」向き合わせ、「克服」を目指している。

合宿の内容は、ハードなトレーニングが大半を占め、中には5千メートルを超える山道を走るメニューなども存在している。

そして、この合宿を乗り越えなければ、野球部としては認めず、技術や能力が高くても、メンバーには選ばないという、ノルマも設定している。

しかし、闇雲に走らせるのではなく、走り方を意識させたり、身体の使い方を学ばせたり、一方的に選手たちを追い込む根性論ではない。

事実、冬場のトレーニングでは、限界突破を目指し自分自身をギリギリまで追い込む選手がほとんどであるが、怪我をする選手はいない。

一方で、日々の練習では「自主性」を重視し、選手に任せることも多い。

オフ期間には全体練習を3時間以内で終わらせ、夕食後は選手たち各自の自主練習の時間にしている。

また、試合後のミーティングでも、監督は参加せず、「課題」や「改善策」などを選手たちだけで見つけ出すようにもさせている。

だが、「自主性」を優先しすぎて、監督と選手たちとの距離が遠くならないように工夫もしている。

ノックもコーチにさせるのではなく、監督が自らノッカーとなり対話をしながら行なったり、ランメニューの間にも選手に冗談を言いながら場の雰囲気を盛り上げたり、「放任」ではなく、「信頼して任せている」のが、若林監督のスタイルなのだ。

18年秋は東京大会準優勝も、センバツ出場はならなかったが、19年の春の関東大会準優勝を成し遂げた東海大菅生は、自分自身の「限界」に挑戦し、「自主性」で日々成長を続け、今後も更なる躍進を続けるだろう。

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