「甲子園は自分の力以上のものを引き出してくれた」/ 東洋大姫路 林崎遼選手

2006年の夏の甲子園で、ベスト8まで進出した、地元兵庫県代表の、東洋大姫路高校。

当時、チームの主軸を務めていたのは、甲子園での2本塁打を含む高校通算24本塁打を放つなどの記録を残した、林崎遼選手である。

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林崎選手は、幼少期に母親が亡くなったこともあり、父親との二人三脚の生活での野球との両立は、決して簡単なものではなかった。

それでも、母親の姉妹やチームメイトの保護者の支えを受け、中学時代は投手として、全国大会を優勝を経験した。

そんな実績も評価され、名門、東洋大姫路に進学後は、1年春からレギュラーとして試合に出場するようになっていった。

1日8時間にも及ぶ練習に苦戦を強いられるも、支えてくれた父親や周囲の人への感謝の想いと、天国の母親へ甲子園でプレーする姿を見せるという決意が、林崎選手を後押し、更なる成長を遂げていった。

迎えた最後の夏は、スランプに陥るも、県大会期間中にもバッティングセンターに通うなどの努力を続け、次第に調子を上げ、チームを甲子園へと導いた。

そして甲子園の準々決勝では、敗れながらも、田中将大選手から本塁打を含む3安打を放つなどの活躍で、有終の美を飾ったのであった。

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