1980年の夏の甲子園で、当時のチーム最高成績に並ぶ、準優勝を成し遂げた都の名門、早稲田実業。
当時、1年生ながらチームの中心投手を務めていたのは、4完封、44回1/3連続無失点を記録するなどの活躍を見せていた、荒木大輔選手である。
荒木選手は、小学生時代にエースとして世界大会でノーヒットノーランを記録するなどし、チームを世界1位に導くなどの輝かしい実績を残していた。
早稲田実業に進学後は、上級生に複数投手がいたこともあり、初の公式戦は、マウンドではなく、内野手として出場した。
しかし、夏の大会直前に上級生投手が怪我や病気を発症し、投手不在となったことから、荒木選手が急遽主力投手として試合に出場することとなった。
3年正捕手の好リードにも助けられながら、直球とカーブのみのコンビネーションで、マウンドを1人で守り続け、チームの甲子園出場の立役者となった。
甲子園でも快投は続き、初戦を完封でスタートすると、連投の辛さを一切感じさせない完璧な投球で、チームを決勝まで導き、当時のチーム最高成績である準優勝に並んだ。
その後の出場可能な甲子園の4大会に全て出場し、惜しくも優勝には届かなかったが、誰も塗り替えることのできない「甲子園5敗」という、立派な記録も打ち立てたのであった。