2011年の夏の甲子園で、史上初の初戦から3試合連続での延長戦を制して、ベスト8まで勝ち進んだ如水館高校。
当時チームのエースとを務めていたのは、浜田大貴選手である。
浜田選手は、愛媛県出身ではあるが中学時代に数々の実績を残していたことから、如水館にスカウトされ進学した。
慣れない寮生活にも屈することなく春の大会では結果を残し、約90人の部内でのレギュラー争いを制して、1年夏からベンチに入ると、甲子園出場も果たした。
しかし、1年の夏は2試合連続リードしながらの降雨によるノーゲームに苦しめられ、2試合目となった再試合では初登板するも、アウトを一つも奪えず降板し、ほろ苦いデビューとなった。
リベンジを誓い臨んだ1年秋、2年の夏秋は気持ちが空回りし、甲子園出場を果たせずにいた。
最後の夏へ気持ちが入らず甲子園が遠くに思えていた矢先、東日本大震災が発生し、練習ができることや甲子園を目指せることのありがたさを知ることとなった。
戦争を経験していた恩師の迫田穆成監督からも、野球ができることの素晴らしさを学び、最後の夏に意地を見せた浜田選手とチームは苦しい試合も何度も乗り越え、チームの最高成績である甲子園8強進出を果たしたのであった。