2016年のセンバツ大会から3季連続で甲子園4強進出し、全国にその名を馳せた熊本県の秀岳館高校。
2001年の選手権、03年のセンバツ大会で甲子園経験後は、県や地区大会で上位進出を果たすも、あと一歩の壁に阻まれていた。
そんなチームの復活を託されたのが、県岐阜商のエースで四番として甲子園出場、社会人野球や少年野球での指導、25年以上高校野球の解説など、幅広い経験や実績を持つ鍛治舎巧監督であった。
鍛治舎監督は、2014年に秀岳館の監督に就任すると、練習に「PDCAサイクル」を導入し、技術と意識の両方を向上させていった。
全国トップレベルの数字を目標にさせながら、球速やスイングスピード、筋トレ以外の、あらゆる動作の数値も細かく計測し、選手たちのモチベーションとしていた。
結果が目に見える状態になったことにより、選手たちは日々「小さな成功体験」を経験したり、「弱点」の把握をしたりすることで、「自信」と「課題」を持ちながら、成長の速度を上げていった。
また、これまでの高校野球では珍しいとされていた、複数投手を起用する采配や、追い込まれた際に「ノーステップ打法」に切りかえる攻め方などを筆頭に、従来の野球スタイルの改革も積極的に行なった。
これらの新しい野球スタイルは、全国レベルの強豪校も真似するようにもなり、秀岳館だけでなく、高校野球界にも新たな伝統を残すこととなった。
そして、「練習は日常生活にあり」というスローガンを掲げ、野球以外の家庭や寮、地域や学校生活にも厳しく指導をしていった。
練習着や遠征時の服装を統一することや、上級生が率先して準備や掃除を行うことなど、細かくルールを選手たちに作らせ、人間的な成長も目指していった。
秀岳館は、県外選手がレギュラーの大半を占めていたことや、勝利至上主義ともとられる作戦で、周囲から批判を浴びることも少なくなかった。
それでも、熊本震災の際には地域のためにという考えでボランティア活動を行ったことから、徐々に理解を得られるようになっていった。
やがて、選手たちのために「衝突」を覚悟で改革を行なっていった監督や、県のレベルアップのために汗を流した選手たちの努力は、甲子園での活躍につながっていった。
秀岳館では、「日本一」の目標は果たせなかったものの、2018年に就任した県岐阜商では、2年目の秋に甲子園出場を確実とした。
鍛治舎監督の悲願である全国制覇を、母校で達成する日は近そうだ。
「「やっていることが正しくても結果がともなわなければ自信は生まれません」/秀岳館 鍛治舍巧監督」への1件のフィードバック