「選手が何をできるかを見極めるんです」/ 愛工大名電 倉野光生監督

愛知県の高校野球四強として、中京大中京東邦享栄と肩を並べる愛工大名電

2003年の神宮大会や05年のセンバツ大会を制した実績や、イチロー選手をはじめとする、数々の名選手を球界に送り出していることから、全国からも注目を集める存在となっている。

そんな名門を指揮しているのが、倉野光生監督である。

倉野監督は、1980年から16年間コーチとして、チームを支え、その後は監督として指揮を執る、愛工大名電一筋の指導者である。

倉野監督の野球は、甲子園に出場する度に「戦い方」を変えてくることから、その采配に常に注目を集めている。

04年のセンバツ準優勝時には、「バントの名電」と称されるほど、ランナーの有無やアウトカウントに関係なく、徹底したバンド野球を貫いていた。

打者のほとんどが、打席に入る度にバントの構えで相手を揺さぶり、相手にバントを意識させたところで、盗塁などの機動力で隙をつくなど、高校野球の定石のバントを従来とはことなった形で多用していた。

一方、翌年のセンバツでは、バントに長打力を加えた新たな野球を確立し、全国制覇を成し遂げた。

高校野球では、「守り勝つ」や「強打」などの代名詞にそってチーム作りをする指導者は多いが、倉野監督は毎年異なる選手たちの特性に適したチームを作っているのだ。

練習試合などで様々な作戦を挑戦し、選手たちの能力や才能などを見極めながら、前チームの持ち味や、他チームのスタイルなどを一切考慮せず、自チームに最適な野球を見つけ出していく。

そのため、日々の練習では、選手たちに「あれをしなさい」や「これをしなさい」といった命令型の指導ではなく、調整の仕方や練習の方法などを提案するだけである。

時には、神宮大会や甲子園などの全国レベルの試合を見に行かせ、トップレベルの野球を学ばせながら、野球勘を養わせたり、他チームの技術を盗ませる機会を与えているのだ。

このように考える材料だけは多数与えるものの、「答え」は一切選手たちには伝えず、「考える力」を身につけさせているのだ。

選手たちは自らの力で自分なりのスタイルを確立すると、監督がそれらを見極めながら、チームの方向性を決めていく。

倉野監督と選手たちは、愛工大名電史上二度目の甲子園制覇へ向けて、新たな野球を模索している。

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