「本塁打を打っても勝たなければ意味がない」/ 智弁和歌山 坂口真規選手

2008年の甲子園に春夏連続出場を果たし、センバツ選手権共に8強まで勝ち進んだ智弁和歌山高校。

当時チームの4番を務めていたのは、高校通算27本塁打を記録し、3度出場した甲子園で3本塁打を放った坂口真規選手である。

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坂口選手は、中学時代に全国準優勝を経験していたが、個人としての記録を残していなかったことから、注目を浴びる存在ではなかった。 

体格の良さと打撃の強さを評価され、智弁和歌山に入学するも、超高校級の先輩や全国トップレベルの厳しい練習に圧倒され、試合でもなかなか結果を残せずにいた。

それでも、地下足袋を履いた打撃練習や竹バットでのティー打撃を繰り返し、力強いスイングを身につけ、1年の秋には4番を任されるまでに成長していった。

周囲からは名門の4番として期待や警戒をされる中でも、努力の量を減らすことなく、チームの練習後にも日付が変わるまでバットを振り続け、更なる成長を遂げていった。

2年生の夏に、坂口選手にとって初の甲子園出場を果たすと、チームは初戦で敗れるも、大会屈指の好投手佐藤由規選手から本塁打を放ったことで、全国から注目を浴びるようになっていった。

3年のセンバツでは調子を落とし、夏の大会直前には怪我に苦しめられるも、和歌山県大会では4試合連続の本塁打、甲子園の3回戦では1イニング2本塁打を放つなど、大記録を残したのであった。

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