「高校野球大会は1回勝負、気持ちの面がものすごく大事」/ 平安 炭谷銀仁朗選手

2005年の夏の京都府大会の準決勝で、優勝候補に挙げられながら、後に甲子園で準優勝を果たす京都外大西に惜敗した、龍谷大平安高校。

当時チームの主将を務めていたのは、高校通算48本塁打を記録していた、炭谷銀仁朗選手である。

龍谷大平安の記事はこちら。

炭谷選手は、小学生時代から様々なポジションを兼任しながらも、捕手を務めていたことから、龍谷大平安に進学後も捕手としてスタートしていった。

しかし、全国トップレベルの先輩投手の変化球をなかなか捕球できず、1年秋に勝ち取ったレギュラーのポジションはクビとなり、野手に転向することとなった。

早朝から夜遅くまで続くハードな野球中心の生活にも苦戦していたこともあり、辞めることも考えていたが、小学生時代からの「プロ野球選手」という夢を励みにグランドで汗を流し続けていた。

【関連】京都成章の記事はこちら。

【関連】京都外大西の記事はこちら。

そんな炭谷選手は監督から「こだわり」を持つようにアドバイス受けたことが転機となり、急速な成長を遂げることとなった。

こだわり」を意識し、一球に対して強い意識を持つことや深く考え始めたことでミスが減り、周囲に対してもアドバイスやサポートができるようになり捕手の復帰を果たしたのだ。

最後の夏は、府大会で敗れるも4本塁打を放つ活躍を見せ、後のドラフトでは1巡目で選出され、小学生時代からの夢を叶えたのであった。

【関連】原田英彦監督の記事はこちら。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です