「かがんだぶん、ジャンプしたときは大きかった」/ 駒大苫小牧 香田誉士史監督

2004年の夏に北海道勢として史上初の甲子園制覇を成し遂げた駒大苫小牧

翌年も甲子園を制し、史上6校目の夏連覇の偉業を達成すると、翌年は決勝で敗れたものの、夏の甲子園3年連続決勝進出という驚異的な成績を残した。

そんな駒大苫小牧を指揮していたのが、香田誉士史監督である。

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香田監督は、「雪が降る日は室内練習」という雪国の常識にとらわれることなく、天候に関係なく、外での練習を行っていた。

気温が氷点下であろうと、グランド一面に雪が積もっていようと、「関係ねーよ」と「雪=ハンデ」という固定概念を根こそぎ覆した。

やがて雪の降らない地域と変わらない練習量をこなし始めた駒大苫小牧は、甲子園でも全国レベルのチームと互角の戦いを繰り広げていったのであった。

そんなチームの更なる原動力となっていたのが、一度挫折や壁に阻まれる辛さをチーム全員で経験することであった。

初優勝時には、前年夏リードしていた試合が降雨ノーゲームとなり再試合の末敗れた悔しさをバネにしていた。

連覇の年には、春の全道大会で道内の連勝記録がストップしたことを、翌年は、不祥事すらもモチベーションとし甲子園の決勝まで勝ち進んだのであった。

これらの経験は決して監督が意図して作ったものばかりではない。

しかし、様々な辛い経験を次のステップへの成長要素として取り入れ、チームの精神面の強化に活用していた監督はまさしく名将である。

誰もが避けていた「気候」や「辛い経験」などの「逆境」を味方にしていった香田監督だからこそ、誰もが成し得ていない結果を残せたのだ。

かがむ」ことは悪いように思われがちであるが、「かがむ」からこそ大きな「ジャンプ」ができるのだろう。

香田監督が残した「逆境を味方にする力」は、駒大苫小牧の伝統として、初優勝時の主将で現在は指揮を執る佐々木孝介監督と後輩たちに受け継がれている。

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