「これが大事というのはなく、全部大事と考える」/ 広陵 福田周平選手

2010年の甲子園に春夏連続出場し、センバツでは4強進出を果たした、広島県の広陵高校。

当時、チームの主将を務めていたのは、主に1番二塁手として出場し、攻守にわたる活躍でチームを引っ張っていた福田周平選手である。

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福田選手は、小学生時代に甲子園で観戦したことをきっかけに、広陵高校に憧れを抱き、広陵で野球をすることを目指すようになっていった。

念願の広陵高校に入学後は、中井哲之監督の人間的な部分重視の指導で、野球だけでなく、人としても成長していった。

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しかし、部員数が約100人いたことや、後にプロ入りを果たす選手が在籍していたことあり、下級生時には、レギュラーの座を掴むことはなかなかできなかった。

それでも、自分の特性を的確に見極め、長所であった小技や機動力でチームのチャンスメイクをすることを目標に、小さな練習も無駄にするこなく、努力を重ねていった。

そんな福田選手の個人の結果を求めるだけでなく、チームのために動ける姿勢が評価され、2年の秋にはチームの主将にも任命された。

迎えたセンバツでは、全国レベルのチームを次々に敗り、4強進出へ導くと、県内から徹底マークされた中で挑んだ夏も甲子園出場を果たすなど、有終の美を飾った。

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