「マウンドに立っていれば背番号は関係ない」/ 光星学院 城間竜兵選手

前年夏の準優勝校として臨んだ2012年の甲子園で、春夏連続で準優勝を果たした、青森県の光星学院

当時のチームで、甲子園史上初となる背番号4での春夏連続甲子園完封勝利を挙げたのが、野手としても活躍していた、城間竜兵選手である。

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城間選手の中学時代のポジションは、遊撃手を数回守ったことはあったものの、投手が中心であったことから、光星学院にも投手志望で進学をした。

しかし、全国トップレベルの選手が揃うチームでは、レギュラー争いは熾烈であり、特に投手での試合出場は厳しい状況であった。

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監督から投手だけでは、レギュラーは難しいと伝えられたこともあり、二塁手の経験があるとウソをつき、野手でのレギュラーを目指すようになっていった。

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自分のためについたウソでチームに迷惑をかけられないと考え、チームが打撃練習をしてる際にも、場所を見つけてはノックで守備力を鍛えるなど、地道な努力を重ね、1年秋にはベンチ入りを果たしたのであった。

そして、本来のポジションでもある、投手の練習も並行して続けたことで、2年秋の新チーム時には、背番号4ながらチームの中心投手としても試合に出場するようになっていった。

野手を経験したことで、フィールディングも向上し、よりレベルの高い投手に成長できた城間選手は、甲子園に新記録を作ったのであった。

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