「みんながいてくれたからこそ今の自分がある」/ 明桜 二木健選手

2009年の夏、13年ぶりに出場した甲子園の初戦で、延長12回の末、惜しくも敗れた秋田県の明桜高校。

当時、チームのエースを務めていたのは、秋田県予選、全試合663球を投げ抜き、チームを甲子園へ導く立役者となった二木健選手である。

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二木選手は、小学3年から野球を始めると、当初は野手として試合に出場していたが、能力の高さを評価され、中学進学後に投手へと転向した。

明桜に入学後は、1年秋の東北大会で熱投を見せたこともあり、県外からも注目を集める選手となっていった。

しかし、周囲から期待され、優勝候補の大本命として臨んだ2年夏は準決勝でリリーフ登板で逆転を許し、悔し涙をのんだ。

敗戦の責任を感じた二木選手は、冬場に徹底的な走り込みで下半身を鍛えたり、ピンチになっても動じないためのメンタルトレーニングを行うなど、努力を重ねていった。

また、エースとしての自覚責任感を持ち、三振や球速にはこだわらず、仲間を信じて打たせることの重要性なども学び、全員で闘うスタイルを身につけていった。

迎えた、最後の夏には防御率0点代の好投で優勝へ導くと、敗れた甲子園の初戦でも166球11奪三振の力投をするなど、成長の証を見せたのであった。 

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