「自分にない力が出るし、持ってる力が出ない、甲子園ってとこは不思議なとこ」/ 浪商 香川伸行選手

1979年の甲子園に春夏連続出場し、センバツでは準優勝を成し遂げ、選手権では4強進出を果たした、大阪府の浪商高校。

当時、チームの中軸を担っていたのは、夏の甲子園での3試合連続本塁打を含む、高校通算41本塁打を記録した、香川伸行選手である。

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香川選手は、小学2年時から野球を始めると、人一倍大きな体を武器に、強肩強打の選手として活躍し、中学時代には府内で注目を集める存在となった。

そんな中、浪商へ進学すると、入学式の翌日の公式戦にスタメンで出場し、本塁打を放ちチームの勝利に貢献するという、衝撃デビューを果たした。

しかし、前例のない活躍は大きな話題となった反面、他校から徹底マークをされたり、敬遠されることも増え、初の甲子園となった2年春は、2四球1安打に終わり、チームも初戦で敗れた。

そんな悔しさを糧に、2年の秋以降は主将としてもチームを引っ張りながら、更なる高みを目指し、黙々とバットを振り続けた。

迎えた3年のセンバツでは、初戦から本塁打を放つなどの活躍で、準優勝に貢献すると、続く夏は右手首痛に苦しめられる中、主将と4番の意地で、チームを18年ぶりの選手権へ導いた。

甲子園では、大会中に右肩関節挫傷に見舞われ、バットを持つだけでも痛みがある中、持ち前のパワーで本塁打を放つなど、記録に記憶にも残る活躍を見せたのであった。

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