「やればできるは魔法の合言葉」の校歌と創部から約2年で日本一を達成したことで、全国から注目を集める存在となったのが愛媛県の済美高校である。
済美は2002年に野球部を創部すると04年のセンバツに初出場を果たし、接戦ながらも強豪校を次々倒し、勢いそのままに全国制覇を成し遂げたのであった。
続く夏の甲子園も決勝まで勝ち進み準優勝で甲子園初出場から9連勝という驚異的な記録も残した。
そんな済美を強豪へと育て上げたのが、独特の采配や指導から「上甲マジック」とファンから親しまれていた、上甲正典監督である。
上甲監督は宇和島東高校を率いた際にも、センバツで初出場初優勝を成し遂げるなどの実績を残している、全国を代表するを名将である。
上甲監督は、自他共に認める「日本一の練習」で日々選手たちを鍛え上げていた。
しかし、済美の練習は闇雲に鍛える「根性論」ではなく、「効率」が重視されていたことが多かった。
選手の能力を数値化し、弱点強化のために合理的な指導を行っていた。
時には、ボディービルダーから体づくりを学ばせたり、スローイングを強化するために投げる手に軍手をはめさせ投げにくい状態を体験させたりと、ユニークな方法を次々に考え、選手たちにできる限りのレベルアップをさせた。
甲子園出場の際にも練習量を落とすことなくおこない、試合での「自信」になるように鍛え続けていた。
そして、甲子園では練習で得た「自信」を後押しさせるように、選手に「勇気」を与える言葉を送り続けていた。
その言葉には、嘘や冗談も含まれていたこともあったが、「思いこみの力」がなによりもベストを尽くせると考え、選手たちを鼓舞していた。
猛練習と名采配に「言葉の力」を加えたことで、唯一無二の「上甲マジック」が完成したのだろう。
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