史上初めて甲子園で春夏連覇を成し遂げた栃木の名門、作新学院高校。
昭和30〜40年代にかけて、甲子園で躍進を続けていたものの、昭和の終わりから平成初期は甲子園でも勝てず、出場すら厳しい状態となっていた。
そんな、低迷期に監督として就任し、31年ぶりに夏の甲子園へチームを導いたのが、若き名将、小針崇宏監督である。
復活を遂げた名門は、平成20年以降再び甲子園常連校となり、28年には、54年ぶりの夏の甲子園制覇、23年からは夏の栃木大会9連覇など、全盛期以上の成績を残している。
そんな名門を復活させた小針監督は、自分自身と選手たちの「意識」を変えるところからスタートしていた。
23歳で名門を率いることもあり、分からないことが多い中で、「甲子園塾」という若手指導者対象の勉強会にも自ら足を運び、選手との接し方や指導者としての振る舞いなど、野球以外のことも多く学んでいった。
また、選手たちの「意識」を変えるためにも、長年甲子園から遠ざかっていたことで失いかけていた「自信」を持たせるように指導していた。
そこで、小針監督は夏の大会前に強化合宿を行ない、ギリギリまで追い込むことで、「自信」を持たせるなど、様々な工夫を行なっている。
そんな練習で得た「自信」をなくさせないためにも、試合では失敗のリスクの高い「犠打」を指示せず、攻撃的な野球をさせるなど、メンタル面には終始気を配っている。
そして、小針監督のもうひとつの特徴が選手に対してシンプルに言葉がけをするところだ。
失敗に対しては指導やアドバイスを、成功に対しては褒めて伸ばし、次のプレーや試合に「迷い」や「焦り」を持ったまま臨ませないようにしている。
23歳で監督をスタートし、33歳という若さで全国の頂点に立った若き名将は、さらなる高みを目指している。
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