「本気と一生懸命は違う」/ 県岐阜商 藤田明宏監督

春夏合わせて、甲子園で4度の全国制覇と6度の準優勝を誇る岐阜県の名門、県立岐阜商業

勝ち星は高校野球100年間で87勝と、公立ではトップクラスである。

そんな、名門を率いていたのが藤田明宏監督である。

続きを読む

「一人一役全員主役」/ 広陵 中井哲之監督

甲子園で70を超える勝ち星を挙げ、3度の全国制覇を誇り、7度の準優勝を記録する、広島県の広陵高校。

大正、昭和、平成のいずれの時代も甲子園の決勝進出の実績があるだけでなく、数々の名選手やプロ野球選手も輩出している。

県や中国地方だけでなく、高校野球界を代表する名門である。

そんなチームを作り上げているのは、広陵OBであり、選手時代にも甲子園出場経験もある中井哲之監督である。

続きを読む

「花よりも、花を咲かせる土になれ」/ 星稜 山下智茂監督

高校野球界で長年、北陸の野球を引っ張っている存在である石川県の星稜高校。

昭和47年夏の初出場から、箕島高校との延長18回の死闘や、明徳義塾戦での松井選手に対する5打席連続敬遠、平成7年の夏の甲子園準優勝など、数々の記録や記憶に残るチームである。

箕島の記事はこちら。

明徳義塾の記事はこちら。

そんな名門を38年間指揮を執っていたのが、山下智茂監督である。

続きを読む

「上手い選手はいらない、強い選手しか使わない。」 / 聖光学院 斎藤智也監督

21世紀に入って初めて甲子園の土を踏んだ福島の聖光学院

その後、18年間で春夏合わせて20回の甲子園出場、夏は県大会で13連覇を記録するなど、高校野球界では知らぬ者はいない強豪へと成長した。

そんなチームを1999年より指揮しているのが、斎藤智也監督である。

続きを読む

「できたらいいな、じゃなくてするぞ。」 / 浦和学院 森士監督

甲子園常連校である、埼玉県の浦和学院高校。

甲子園に出場すれば、毎度優勝候補の一角と注目されながら、四強止まりで悔し涙を流していた。

そのため、ファンからは「無冠の帝王」と称されていたが、2013年のセンバツでジンクスを脱し、初の全国制覇を成し遂げた。

そんなチームを1991年から27歳の若さで監督に就任し、指揮を執っているのが名将、森士監督である。

続きを読む

「ガツガツやっちゃうと、普段通りじゃなくなる」/ 前橋育英 荒井直樹監督

2013年の夏の甲子園で、初出場初優勝の快挙を成し遂げた、群馬県の前橋育英高校。

派手さこそないものの我慢強く試合を進め、ワンチャンスをものにし、ロースコアの試合を制し、全国の頂点に立った。

そんなチームを作り上げたのが、荒井直樹監督である。

続きを読む

「勝って不幸になる人間はいないのよ。」/ 常総学院 木内幸男監督

甲子園で春夏合わせ2度の優勝と2度の準優勝を記録する、茨城の名門、常総学院高校。

平成の30年間で、甲子園で30を超える勝ち星を挙げている全国を代表する、高校野球の強豪校である。

そんなチームで指揮を執っていたのが木内幸男監督である。

続きを読む

「鍛錬千日の行、勝負一瞬の行」/ 池田 蔦文也監督

「やまびこ打線」の愛称で親しまれていた、徳島県の池田高校

春夏合わせて、甲子園で40を超える勝ち星を挙げ、3度の優勝と2度の準優勝など、輝かしい成績を残す名門である。

昭和57年の夏の甲子園から翌年の夏の甲子園準決勝まで、無傷の15連勝を記録するなど、一時代を築いた。

そんなチームを作り上げたのが59歳で初めて甲子園を制した名将、蔦文也監督である。

続きを読む

「優勝候補が強いのではなく、勝ったチームが強い」/ 横浜高校 渡辺元智監督

春夏合わせ、5回の甲子園制覇を誇る、名門横浜高校

「史上最強にして最高のチーム」と讃えられた、松坂大輔選手を軸とした1998年のチームでは、甲子園春夏連覇だけでなく、神宮大会、国体も制し、公式戦一年間負けなしという驚異的な記録を打ち立てた。

そんな名門横浜高校を指揮していたのは、渡辺元智監督である。

続きを読む