「勝つことより、3年間ともに戦ってきた仲間たちと何を学ぶかが大事」/ 池田 水野雄仁選手

1982年の夏の甲子園で、初優勝を果たすと、翌年のセンバツも制して、夏春連覇を成し遂げた、徳島県の池田高校

当時チームの主軸選手として、投打にわたって活躍を見せ、連覇に貢献したのは、水野雄仁選手である。

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「練習メニューを監督からもらっているうちは勝てない」/ 千葉経大付 松本吉啓監督

2004年の夏の甲子園で、初出場ながら、優勝候補筆頭、ダルビッシュ有選手擁する東北高校を敗り、4強まで勝ち進み、「奇跡」とも称される、衝撃デビューを果たし、千葉経大付属高校。

そんな快進撃の背景には、かつて甲子園優勝投手となった経験や、指導者としても甲子園へ導いた実績を持つ、松本吉啓監督の指導があったからである。

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「絶対的な自信を持ってやっている時ほど楽しいものはない」/ 佐賀商業 新谷博選手

1982年の夏の甲子園で、当時のチーム最高記録となる2勝を挙げ、16強まで勝ち進んだ、佐賀商業高校。

そんなチームのエースを務めていたのは、初戦でノーヒットノーランを達成するなどの活躍を見せていた、新谷博選手である。

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「甲子園に出場したことで満足している選手はいらない」/ 静岡 栗林俊輔監督

結果」以上に、「選手」を大切にする指導スタイルで、低迷しつつあった名門、静岡高校を復活させたのは、栗林俊輔監督である。

栗林監督が就任した際の静岡高校は、地区の私学勢の躍進もあり、力のある選手が在籍していながら、甲子園の切符が遠い状態が続いており、OBやファンからは再建を託されていた。

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「結果も当然大切ですが、自分の目指しているところを明確に持つことが大事」/ 常総学院 仁志敏久選手

1987年の甲子園に、春夏連続で初出場を果たし、夏の選手権では、準優勝を成し遂げた、茨城県の常総学院

当時、1年生で唯一のレギュラーとして試合に出場していたのは、準々決勝でランニングホームランを放つなどの活躍を見せていた、仁志敏久選手である。

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「習慣になっていないことをしようとするから苦痛を伴う」/ 米子東 紙本庸由監督

私学の強豪がしのぎを削る現代の高校野球の中で、公立の進学校、米子東高校を復活へと導いた、紙本庸由監督の指導は、経営者並みの手腕であった。

米子東は、第1回大会からの皆勤校であることに加え、センバツ準優勝を記録するなどしていたことから、かつては、全国レベルの強豪として認識されていた。

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「納得できるボールが投げられるのなら、この試合で潰れても構わない」/ 東海大山形 藤原安弘選手

1985年の夏の甲子園に出場するも、初戦で22点差をつけられ大敗を喫した、東海大山形

当時、チームの4番でエースという大役を担っていたのは、1年時から投打に渡る活躍を見せていた、藤原安弘選手である。

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「泣きたい時もあると思いますが、それは勝つためのエネルギーになります」/ クラーク記念国際 佐々木啓司監督

創部3年目にして、夏の甲子園史上初の通信制の高校として、出場を果たしたことで、全国から注目を集めた、北海道のクラーク記念国際

そんなチームの快進撃は、かつて、駒大岩見沢を全国レベルに育て上げた名将、佐々木啓司監督の支えてがあったからである。

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「強い意志をもって投げることが大事」/ 鹿児島実 杉内俊哉選手

1998年の夏の甲子園に、県大会3連覇を成し遂げ出場した、鹿児島実業高校。

当時、チームのエースを務めていたのは、甲子園の初戦でノーヒットノーランを達成するなどの活躍を見せていた、杉内俊哉選手である。

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