1996年のセンバツに甲子園初出場を果たすと、2度目の挑戦となった2002年のセンバツで初勝利を挙げた、三重県の津田学園。
その後は、約15年甲子園からも遠ざかっていたものの、2017年に夏の甲子園初出場を果たし、初勝利を挙げると、2019年は春夏連続で甲子園出場するなど、近年再び力をつけている。
そんなチームを2008年から指揮しているのは、PL学園の選手として甲子園に出場し、社会人野球でのプレー経験も持つ佐川竜朗監督である。
佐川監督は、生徒指導主事も務めていることから、「応援されるチーム」を目指し、普段の学校生活や学業を疎かにしないように指導をしている。
津田学園の野球部は、県外生が在学し、寮や専用グランドがあるものの、監督や学校が中学生をスカウトすることはせず、入学後入部を希望する選手のみで、構成されている。
練習時間も、学校側から完全下校時間が決められていることから、平日であれば3時間ほどであため、練習前のアップを各自で行い、前日に監督から配られたその日の練習メニューが書かれたメモに基づき、練習を進めていくなど、無駄な時間を省き、効率を重視している。
また、佐川監督の母校であるPL学園の「自主性」のスタイルを継承して、大声で怒鳴ったり、厳し言葉を使うことなく指導をして、選手たちに野球を楽しんでもらうようにしている。
そのため、技術の指導時には、主役である選手の意見を尊重して、無理矢理形を押し付けるのではなく、アドバイスをしたり、サポートをして長所を伸ばすことを重視している。
試合中もこのスタイルは変わらず、選手たちの間違いや課題の答えを見つけても黙ったまま見守るほど、「自立」させることを目指している。
真夏の練習では、朝と夕方のみ活動し日中はオフにしたり、19年の秋からは、高校野球=坊主というイメージに縛られず、「髪型の自由」を新たなルールにするなど、様々な面を選手たちに任せ、過去の常識にとらわれない指導も積極的に取り入れている。
「指示待ち」ではなく、自ら考えて動ける集団に成長したことで、甲子園常連校へと成長出来たのだろう。
平成で強豪として認識された津田学園は、自立した野球を武器に、令和の時代に甲子園の常勝軍団に名乗りをあげる。
「「選手に任すのは怖い面もあるけど、勇気を持たないとだめ」/ 津田学園 佐川竜朗監督」への1件のフィードバック