「忍耐力がつき、生涯の友人ができるのも高校野球です」/ 県岐阜商 藤田明宏監督

甲子園では、春夏合わせて4度の全国制覇と6度の準優勝を誇り、80を超える勝ち星を残している、名門、県立岐阜商業

私学勢が中心となっていった平成の時代には、5大会連続初戦敗退とやや苦しんだものの、10勝を挙げ、初出場時から長期間甲子園出場を逃すことなく安定して出場している。

そんな、名門を率いていたのが選手時代に県岐阜商の主将として甲子園を経験している、藤田明宏監督である。

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藤田監督は、岐阜城北高校の監督として、2006年のセンバツ大会で4強に導くと、09年から母校の県岐阜商業の監督に就任し、低迷していたチームを立て直し、僅か4ヶ月の驚異的なスピードで、夏の甲子園の4強入を果たすチームを育て上げた。

思い切った選手起用や勝負所での意表を突く作戦などが、高確率で的中することから、「藤田マジック」と称されていた。

この「藤田マジック」の「タネ」となっているのが、固定概念にとわれない新鮮な発想を大切にした指導である。

高校野球では、「一生懸命」に取り組むことを目標に掲げるチームは多いが、藤田監督は、誰かに指示や指図をされて受け身の状態で行動する「一生懸命」の状態ではなく、自ら進んで取り組む「本気」になれる選手を育てていた。

大学の監督となった現在でもこのスタイルは変わらず、時には学生に練習メニューを考えさせ、主体的にレベルアップできるような環境を作り続けている。

スポーツである以上、勝ち負けにも拘っているが、練習や試合への「取り組む姿勢」を追求したことで、多くの結果が残せているのだろう。

また、選手たちを「野球部員」ではなく、「学生」と位置づけ、日々の生活や高校生としての自覚を持つことなどを教え、人間としての部分なども成長させていた。

技術の成長に必要不可欠な人の話を「聴く力」や「理解力」は学校の授業などで身につけることもできるため、学業に取り組むことの重要性も伝えていた。

そして、甲子園という夢だけを叶えるのではなく、「仲間」や「忍耐力」なども身につけられる高校野球の素晴らしさを経験してもらうよう選手たちと一緒になって、汗を流していた。

指導した全ての高校が甲子園出場を果たしたことから、「甲子園請負人」とまで称されている藤田監督

2015年の夏の勇退後にスタートした、大学野球の指導からも目が離せない。

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