努力や試行錯誤を繰り返し、自分なりに考え出したやり方で結果が出ると、自信や喜びなると同時に、その方法にこだわるようになってしまうようになる。
だが、過去のスタイルに執着していても、それが現在や未来にも通用するとは限らないため、時代や状況に合わせて、変えていく必要がある。
そうした考えから、自身の指導方法を変えることを恐れず、毎年、選手たちに最も適したやり方でチーム作りを行うのは、大垣日大を指揮する阪口慶三監督である。
阪口監督は、自身の母校でもある名門、東邦高校を指揮していた時代は、周囲から「鬼の阪口」と称されるほど、厳しい指導で選手を鍛え上げていた。
しかし、大垣日大の監督就任後は、チームが甲子園出場の経験すらなかったことから、厳しくするだけでは、やる気や自信は生まれず、選手たちの良さも引き出せないとして、褒める指導を始めた。
また、孫ほど年の離れた選手たちを理解するために、一緒に映画館へ出かけたり、風呂で談笑するなど、過去の実績や名監督という肩書きにとらわれることなく、より良い指導法の模索を続けている。
70歳という年齢と戦いながらも、選手たちを育てる努力と勝つために最善を尽くす阪口監督は、自身にとって2度目の、大垣日大にとって初の全国制覇に向かって歩み続けている。
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「「監督が変わらなくては誰もついてこない」/ 大垣日大 阪口慶三監督」への1件のフィードバック