「目標に向かって自ら成長していくのが君たちの仕事だ」/ 横浜 平田徹監督

春夏合わせて5度の全国制覇を誇る、神奈川の名門、横浜高校

平成10年の春夏連覇を含めた甲子園での勝ち星は、平成の時代では東日本勢トップタイの41を記録している。

チームを全国レベルに育て上げた、渡辺元智監督小倉清一郎コーチの名指導者のあとを継いだのが、平田徹監督である。

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「選手が何をできるかを見極めるんです」/ 愛工大名電 倉野光生監督

愛知県の高校野球四強として、中京大中京東邦享栄と肩を並べる愛工大名電

2003年の神宮大会や05年のセンバツ大会を制した実績や、イチロー選手をはじめとする、数々の名選手を球界に送り出していることから、全国からも注目を集める存在となっている。

そんな名門を指揮しているのが、倉野光生監督である。

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「考えて自分で判断して実践して行動していくこと」/ 富山第一 黒田学監督

1960年創部後県内で、強豪校として躍進を続けるも、甲子園へのあと一歩が遠かった富山第一高校。

悲願の初出場を果たした2013年の夏の甲子園では、県勢40年ぶりの8強に進出し、その後も甲子園で活躍を続け、全国から注目を集める存在となっている。

そんなチームを指揮しているのが、2009年から指揮をしているのが黒田学監督である。

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「日常の行いで人間的に成長すれば野球も上達する」/ 創成館 稙田龍生監督

2010年代に入り、急速に力をつけ結果を残している九州のニューフェイス、長崎県の創成館高校。

2013年のセンバツ大会に甲子園初出場を果たすと、その後もコンスタントに甲子園に出場し17年の秋には9回目の挑戦で初の九州王者となり、神宮大会でも、後のドラフト選手4人を擁する大阪桐蔭を敗り、勢いそのままに準優勝という成績を残した。

そんなチームを2008年から指揮しているのは、選手時代に大分明豊高校での甲子園出場経験や、社会人野球の選手・監督として活躍していた、稙田龍生監督である。

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「負けて初めて気づくことがあります」/ 八重山商工 伊志嶺吉盛監督

2006年に日本最南端からの甲子園出場で全国の高校野球ファンを沸かせた、八重山商工

センバツ大会では初戦突破をすると、夏の選手権では16強まで勝ち進み、大きな注目を集めた。

そんな八重山商工を育て上げたのが、伊志嶺吉盛監督である。

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「好きになってくれないと絶対上手になりませんからね」/ 常葉菊川 森下知幸監督

2007年のセンバツ大会で、優勝候補を次々と下し勢いそのままに、頂点に立った常葉菊川(現常葉大菊川)。

続く夏は甲子園四強、翌年の夏は甲子園準優勝を成し遂げるなど、初優勝時まで、甲子園で1度も勝てなかったチームは、一気に全国レベルの強豪校となった。

そんなチームを作り上げたのが、選手時代は浜松商業の主将として、センバツ大会を制した実績や、社会人野球でプレーしていた経験もある、森下知幸監督である。

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「技術で怒って萎縮させてもうまくいくはずない」/ 上田西 原公彦監督

県内ではベスト8の常連であり、常に優勝候補として期待されるも甲子園が遠かった上田西高校。

しかし、2013年の夏に、創部53年目にして初の甲子園出場を決めると、15年には、甲子園で初戦突破をし初勝利を挙げ、県や地区だけでなく、全国からも注目を浴びる存在となっている。

そんな、上田西を指揮しているのが原公彦監督である。

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「苦しい場面を乗り切るには選手たち自身の意思で動けないとだめ」/ 羽黒 小泉泰典監督

100回大会で、15年ぶりに甲子園に帰ってきた山形県の羽黒高校。

羽黒高校は、2003年夏に初の甲子園出場を果たすと、04年秋の神宮大会と、05年のセンバツ大会で四強進出するなど、全国での実績もある強豪校である。

そんな羽黒を、2012年から18年秋までチームを指揮していたのが、神奈川の名門、慶應義塾の出身の小泉泰典監督である。

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「敗戦は、自分を見つめ直すには、これ以上ない材料」/ 早稲田実業 和泉実監督

2006年の夏の甲子園で、駒大苫小牧との決勝戦引き分け再試合の大熱戦を制し、学校史上初の夏の甲子園での全国制覇を成し遂げた早稲田実業

激戦の東京に位置しながらも、春夏合わせて40を超える甲子園出場を記録し、センバツは1957年に、選手権は2006年に全国制覇の経験がある、高校野球界の名門である。

そんな、早稲田実業を92年から指揮をしているのが、OBの和泉実監督である。

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