「マウンドに立っていれば背番号は関係ない」/ 光星学院 城間竜兵選手

前年夏の準優勝校として臨んだ2012年の甲子園で、春夏連続で準優勝を果たした、青森県の光星学院

当時のチームで、甲子園史上初となる背番号4での春夏連続甲子園完封勝利を挙げたのが、野手としても活躍していた、城間竜兵選手である。

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「自分が率先して気迫のこもったプレーをすれば、みんなもついてきてくれる」/ 九州国際大付 三好匠選手

2011年のセンバツ大会で、圧倒的な打力で快進撃を続け、準優勝を成し遂げた、福岡県の九州国際大付属高校。

当時チームのエースを務めていたのは、高校通算23本塁打を記録して、打者としても注目されていた、三好匠選手である。

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「やらないで後悔するより、やって後悔する方がいい」/ 履正社 山田哲人選手

2010年の夏の甲子園で、チームの歴史を塗り替える選手権初勝利を挙げた、大阪府の履正社高校。

当時チームの主軸を務めていたのは、高校通算31本塁打を記録し、大会ナンバー1スラッガーとして注目を集めていた、山田哲人選手である。

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「自分のボールを信じて投げることが大事」/ 長崎日大 大瀬良大地選手

2009年の夏、県大会でセンバツ優勝校の清峰を敗り甲子園出場を果たした、長崎日大高校。

当時、チームのエースを務めていたのは、MAX147キロのストレートを武器に、豪快な投球で全国から注目を集めていた、大瀬良大地選手である。

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「野球ができるのもお父さんとお母さんのおかげ」/ 広陵 上本崇司選手

2008年の夏、前年準優勝校として徹底マークをされながらも県大会を勝ち抜き甲子園出場を果たした、広島県の広陵高校。

当時、チームの1番打者を務めていたのは、前年の準優勝にも貢献し、3年夏には史上初の兄弟揃って先頭打者本塁打を記録するなどの活躍を見せた、上本崇司選手である。

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「練習は量をやりながら質も求めることが大事」/ 帝京 中村晃選手

2007年のセンバツ大会で4強、夏の甲子園では8強に進出した東の横綱、帝京高校。

当時チームの主将を務めていたのは、高校通算60本塁打を記録し、大会屈指のスラッガーとして注目を集めていた、中村晃選手である。

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「順境におごらず、逆境に腐らず」/ 智弁和歌山 古宮克人選手

2006年の夏の甲子園で、優勝候補の筆頭として出場し、準々決勝では壮絶な打撃戦を制して4強まで勝ち進んだ智弁和歌山高校。

当時、チームの主将を務めていたのは、俊足好打の1番打者として活躍を見せていた、古宮克人選手である。

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「高校野球大会は1回勝負、気持ちの面がものすごく大事」/ 平安 炭谷銀仁朗選手

2005年の夏の京都府大会の準決勝で、優勝候補に挙げられながら、後に甲子園で準優勝を果たす京都外大西に惜敗した、龍谷大平安高校。

当時チームの主将を務めていたのは、高校通算48本塁打を記録していた、炭谷銀仁朗選手である。

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「練習は試合に負けて悔しいからやるんじゃなくて、勝つためにしっかりとやる」/ 興南 宮城大弥選手

2019年の夏の沖縄県大会で、沖縄尚学と延長13回に及ぶ大激闘を繰り広げ、堂々の準優勝を果たした興南高校。

当時チームのエースを務めていたのが、1年夏から甲子園のマウンドを経験するなどの活躍を見せていた、宮城大弥選手である。

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