「人間的なことを話してから技術の話をしないと頭の中に入らない」/ 早鞆 大越基監督

1964年の夏の甲子園での準優勝を筆頭に、60年代に活躍を続けていた山口県の古豪、早鞆高校。

その後は低迷していたものの、2009年から指揮をとる大越基監督によって復活を遂げると、2012年には早鞆史上初のセンバツ出場も果たした。

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大越監督は選手時代に仙台育英のエースとして、夏の甲子園準優勝へ導いた実績や、プロ野球で活躍した経歴を持つ。

そのため、早鞆高校の監督に就任当時は、自身の野球キャリアで学んだことを中心とした、高いレベルの野球を指導していた。

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しかし、基礎や基本、人間性が完璧でない選手たちには、本質や考えが伝わらず、結果が出ない状態が続いていた。

そこで、人間的な部分の指導を軸としたスタイルで再スタートし、技術的な指導をほとんど行わず、日常生活や私生活を厳しく指導していった。

野球外のことにも意識をするようになった選手は、自然と視野が広がり、行動一つ一つに考える癖がつき、チームは急速な成長を遂げていった。

元プロ野球選手という肩書に縛られず、一人の教育者として人間性をを成長させたことが、早鞆高校の復活につながったのだろう。

かつての早鞆大越監督が果たせなかった、全国制覇へ向けての挑戦はまだまだ続く。

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