沖縄県勢として初となる夏の甲子園優勝を、春夏連覇という異形で達成した興南高校。
そんな栄光へと導いたのは、かつて選手としても甲子園で旋風を巻き起こした、OBの我喜屋優監督である。
我喜屋監督が就任した際の興南は、甲子園から遠ざかっていただけでなく、チーム全体にだらしない雰囲気が漂っていた。
グラウンドの上ではもちろん、学校や寮生活においてもメリハリや高校生らしさがなく、技術以前の課題が山済みであった。
そこで、挨拶や礼儀作法、ルールの徹底など、私生活を正すことからスタートさせた。
当初は、私生活と野球の関係性を理解できない選手たちも多かったが、日々取り組んでいく内に、野球での成果や成長が見られたことで、次第に自分たちだけで励むようになっていった。
その結果、チームは我喜屋監督就任から約4ヶ月で甲子園へ返り咲くなど、復活の兆しを見せ始めた。
その後も、甲子園出場に満足することなく、目の前のチャンスを丁寧に一つずつ掴み取り、遂には春夏連覇をも達成したのであった。
人間力の野球を武器に復活を果たし、チームの伝統や球史に残る記録を次々と残す、我喜屋監督率いる興南から今後も目が離せない。
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- 「選手はベンチの監督を見ているのだから、まず監督がいつも通りじゃないといけない」/ 敦賀気比 東哲平監督
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