1989年の平成最初となった夏の甲子園に、出場を果たした熊本工業高校。
当時、チームの中軸を務め、3度の甲子園で4安打を放つなどの活躍を見せていたのは、前田智徳選手である。
前田選手は、小学生から始めたソフトボールを通して、野球の基礎能力を身につけると、中学時代には、厳しい練習をこなし、グラウンドを軽々越える飛距離を飛ばすほどの打者へと成長していった。
また、その頃から結果だけでなく、打席の内容や打球の質などにもこだわりを強め、自分の納得するバッティングを意識し始めていった。
しかし、熊本工業進学後は、自身のバッティングを追求しすぎるあまり、内容が気に入らない場合には、試合中に涙するなどの一面もあり、仲間と波長が合わないこともあった。
また、好成績を残すあまり、他校から警戒され、敬遠や厳しい攻めといった作戦を取られると、感情を剥き出しにして挑発し、審判から注意されることもあり、精神面に課題があった。
それでも、負けず嫌いの性格をチームメイトや監督が理解してくれたことで、プラスに働かせると、更なる高みを目指し、ひたすら努力を続けていった。
迎えた最後の夏には、県大会6割を超える打率を残し、自身3度目の甲子園へ出場を果たすと、甲子園でも初戦突破に大きく貢献したのであった。