「『姿』に『勢い』と書いて『姿勢』、良い姿をしていなければ、勢いは生まれない」/ 京都成章 澤井芳信選手

1998年の甲子園に春夏連続出場を果たし、夏の甲子園では準優勝を成し遂げた、京都成章高校。

当時、チームの主将を務めていたのは、1番遊撃手としてプレーでもチームを支えていた、澤井芳信選手である。

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「昔ながらの練習にも意味はある」/ 済美 中矢太監督

かつて上甲正典監督の指揮の元、創部3年で、センバツ高校野球に初出場初優勝を成し遂げ、衝撃デビューを果たした愛媛県の済美高校は、不祥事をきっかけに、低迷期を経験した。

体外試合禁止や公式戦出場停止など、厳しい処分を受け、人気も低迷し、入部希望者も減少し、大会でも勝てないという悪循環が続いていた。

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「練習を積んで1点、1球の重みを感じプレーすれば、秋田の子たちでも勝てる」/ 金足農業 水沢博文選手

1984年の甲子園に春夏連続出場を果たし、夏の甲子では、4強まで勝ち進んだ、秋田県の金足農業高校。

当時、チームのエースを務めていたのは、ストレートとカーブを軸に、打たせてとるスタイルを持ち味としていた、水沢博文選手である。

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「選手の優れた部分を最大限に引き出して、そこからどうやってチームにまとめ上げていくか」/ 横浜 平田徹監督

春夏合わせて5度の甲子園優勝へと導くなど、数々の記録を残し、スター選手も育て上げた、名将、渡辺元智監督の後を継いだ、平田徹監督

周囲からの期待とプレッシャーがかかる中での就任となったが、監督期間の4年間では、全てのチームを甲子園へ導き、夏の県大会では3連覇を成し遂げるなど、結果を出し続けていた。

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「野球の勝敗は先の読み合いで決まります」/ 大府 赤星憲広選手

1994年のセンバツ大会に、2年連続東海地区の代表として出場した、愛知県の大府高校

当時、チームの1番打者として、2年連続の甲子園出場に大きく貢献したのが、赤星憲広選手である。

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「みんな、優等生になろうとしなくていいんです」/ 智弁和歌山 中谷仁監督

かつて、智弁和歌山主将として、チームを夏の甲子園初優勝へと導いた中谷仁氏は、現在、母校の監督に就任し、自身2度目の全国制覇を目指している。

中谷監督は、恩師でもあり、甲子園史上最多の勝ち星を挙げている名将でもある、高嶋仁監督の後継者となったことから、周囲から期待とプレッシャーを受けながらの就任となった。

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「戦略的な考えや戦術なしでは強い相手に勝てない」/ 広島商業 金光興二選手

1973年の甲子園に春夏連続出場し、センバツでは準優勝、夏の選手権では優勝を成し遂げた、広島商業高校。

当時、主将を務めていたのは、打者としては上位を担い、守備では遊撃手として攻守にわたる活躍で、チームを引っ張っていた金光興二選手である。

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「一番大事なのは選手が自立すること」/ 東邦 森田泰弘監督

全国最多センバツ大会優勝回数を筆頭に、甲子園で数々の名勝負や記録を残してきた愛知の名門、東邦高校の伝統のバトンを引き継ぎ、チームの更なる進化に貢献した森田泰弘監督

監督期間の約15年間は、球史に残る大逆転劇を演じたり、監督生活最後となったセンバツ大会での全国制覇を成し遂げるなど、輝かしい実績を残したが、決して簡単な道のりではなかった。

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「高校野球は教育の場でもある」/ 東海大相模 原辰徳選手

2季連続出場となった、1975年のセンバツ大会で準優勝を成し遂げた、神奈川県の東海大相模高校。

当時、2年生ながらチームの快進撃に貢献したのが、監督の原貢氏の息子として注目されていた、原辰徳選手である。

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