「一番成長が遅いのは、人の話を聞かない選手です」/ 山梨学院 吉田洸二監督

近年、高校野球の指導では、「考える力」を身につけさせるために、選手主体の自主性を取り入れ、指導者が一方的に考えを押し付けるケースか少なくなっている。

山梨学院を指揮している吉田洸二監督もまた、サポートや指示は出すものの、基本的には対話を重視して、選手の意見を尊重して指導を行っている。

“「一番成長が遅いのは、人の話を聞かない選手です」/ 山梨学院 吉田洸二監督” の続きを読む

「投手が追い求めるべきは、球速よりも制球力」/ 作新学院 八木沢荘六選手

1962年の甲子園で、史上初となる春夏連覇を成し遂げた栃木県の作新学院高校。

当時、チームのエースを務めていたのは、センバツ大会で全5試合に登板し、自責点2の活躍で、優勝に貢献した、八木沢荘六選手である。

“「投手が追い求めるべきは、球速よりも制球力」/ 作新学院 八木沢荘六選手” の続きを読む

「成功というのは失敗したもんだけが到達できる特権」/ 池田 蔦文也監督

負けからのスタート」を合言葉に、失敗や挫折を何度も乗り越え、  徳島県の無名校であった池田高校を、春夏合わせて3度、全国制覇へ導いた蔦文也監督

小技に頼らず、豪快な打撃で相手を圧倒するチームを作り上げたことから、「攻めダルマ」という異名で、多くの高校野球ファンから親しまれていた。

“「成功というのは失敗したもんだけが到達できる特権」/ 池田 蔦文也監督” の続きを読む

「自分ができる限界まで追い詰めて、努力することが大切」/ 熊本工業 前田智徳選手

1989年の平成最初となった夏の甲子園に、出場を果たした熊本工業高校。

当時、チームの中軸を務め、3度の甲子園で4安打を放つなどの活躍を見せていたのは、前田智徳選手である。

“「自分ができる限界まで追い詰めて、努力することが大切」/ 熊本工業 前田智徳選手” の続きを読む

「邪心を持ったまま試合に臨むから負けてしまう」/ おかやま山陽 堤尚彦監督

高校野球の指導者は、甲子園や全国制覇といった成果だけでなく、人間形成や、社会で役に立つ人を育てることなど、様々な目標も持ちながら選手を育てることが多い。

そうした中で、おかやま山陽を指揮している堤尚彦監督には、結果と教育の他に、「世界中に野球のすばらしさを広めたい」という、壮大な目的もあった。

“「邪心を持ったまま試合に臨むから負けてしまう」/ おかやま山陽 堤尚彦監督” の続きを読む

「勝つことより、3年間ともに戦ってきた仲間たちと何を学ぶかが大事」/ 池田 水野雄仁選手

1982年の夏の甲子園で、初優勝を果たすと、翌年のセンバツも制して、夏春連覇を成し遂げた、徳島県の池田高校

当時チームの主軸選手として、投打にわたって活躍を見せ、連覇に貢献したのは、水野雄仁選手である。

“「勝つことより、3年間ともに戦ってきた仲間たちと何を学ぶかが大事」/ 池田 水野雄仁選手” の続きを読む

「練習メニューを監督からもらっているうちは勝てない」/ 千葉経大付 松本吉啓監督

2004年の夏の甲子園で、初出場ながら、優勝候補筆頭、ダルビッシュ有選手擁する東北高校を敗り、4強まで勝ち進み、「奇跡」とも称される、衝撃デビューを果たし、千葉経大付属高校。

そんな快進撃の背景には、かつて甲子園優勝投手となった経験や、指導者としても甲子園へ導いた実績を持つ、松本吉啓監督の指導があったからである。

“「練習メニューを監督からもらっているうちは勝てない」/ 千葉経大付 松本吉啓監督” の続きを読む

「絶対的な自信を持ってやっている時ほど楽しいものはない」/ 佐賀商業 新谷博選手

1982年の夏の甲子園で、当時のチーム最高記録となる2勝を挙げ、16強まで勝ち進んだ、佐賀商業高校。

そんなチームのエースを務めていたのは、初戦でノーヒットノーランを達成するなどの活躍を見せていた、新谷博選手である。

“「絶対的な自信を持ってやっている時ほど楽しいものはない」/ 佐賀商業 新谷博選手” の続きを読む

「甲子園に出場したことで満足している選手はいらない」/ 静岡 栗林俊輔監督

結果」以上に、「選手」を大切にする指導スタイルで、低迷しつつあった名門、静岡高校を復活させたのは、栗林俊輔監督である。

栗林監督が就任した際の静岡高校は、地区の私学勢の躍進もあり、力のある選手が在籍していながら、甲子園の切符が遠い状態が続いており、OBやファンからは再建を託されていた。

“「甲子園に出場したことで満足している選手はいらない」/ 静岡 栗林俊輔監督” の続きを読む