「選手の優れた部分を最大限に引き出して、そこからどうやってチームにまとめ上げていくか」/ 横浜 平田徹監督

春夏合わせて5度の甲子園優勝へと導くなど、数々の記録を残し、スター選手も育て上げた、名将、渡辺元智監督の後を継いだ、平田徹監督

周囲からの期待とプレッシャーがかかる中での就任となったが、監督期間の4年間では、全てのチームを甲子園へ導き、夏の県大会では3連覇を成し遂げるなど、結果を出し続けていた。

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「みんな、優等生になろうとしなくていいんです」/ 智弁和歌山 中谷仁監督

かつて、智弁和歌山主将として、チームを夏の甲子園初優勝へと導いた中谷仁氏は、現在、母校の監督に就任し、自身2度目の全国制覇を目指している。

中谷監督は、恩師でもあり、甲子園史上最多の勝ち星を挙げている名将でもある、高嶋仁監督の後継者となったことから、周囲から期待とプレッシャーを受けながらの就任となった。

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「一番大事なのは選手が自立すること」/ 東邦 森田泰弘監督

全国最多センバツ大会優勝回数を筆頭に、甲子園で数々の名勝負や記録を残してきた愛知の名門、東邦高校の伝統のバトンを引き継ぎ、チームの更なる進化に貢献した森田泰弘監督

監督期間の約15年間は、球史に残る大逆転劇を演じたり、監督生活最後となったセンバツ大会での全国制覇を成し遂げるなど、輝かしい実績を残したが、決して簡単な道のりではなかった。

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「試合で少しずつ上手くいくうちに段々選手たちにも自信が生まれてくる」/ 常葉大菊川 高橋利和監督

かつてセンバツを制した際に見せた、森下知幸監督が作り上げた、強打を軸としたダイナミックな野球を継承しながら、高橋利和監督は、常葉大菊川に新たな伝統、のびのび野球を追加した。

高橋監督は、甲子園での実績を残している名将、森下監督の指導スタイルを継承し、名門の維持と発展を目指していった。

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「『どれだけ優勝をしたいのか』という気持ちを持って勝負できるか」/ 国士舘 永田昌弘監督

かつて無名の国士舘を、全国常連校へと育て上げた永田昌弘監督は、大学野球の指導者へと転向するも、チームが低迷しつつあったことから、再び指揮を執ることとなった。

10年離れたチームは、国士舘という強豪の看板に甘え、努力に対して消極的な選手や、自らの力に過信する選手も少なくなかった。

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「一番厳しいことは与えられた時間の中で『自分でやること』」/ 新潟明訓 佐藤和也監督

人気マンガ、ドカベンのモデル校となった新潟明訓の実在していることを全国に広め、「鍋野球」という独特のスタイルでチーム作りを行ってきた、佐藤和也監督

監督就任当初は、マンガの「明訓高校」の知名度の方が高く、練習試合を申し込めば、ドカベンでの設定の神奈川県のチームと勘違いされることも少なくなかった。

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「勝負に勝ち負けはあるが、相手の名前に気後れすることは許さない」/ 日大山形 荒木準也監督

2006年の88回大会まで、出場地区で唯一の夏の甲子園8強進出がなかったことから、全国最弱というレッテルを貼られていた、山形県勢。

そんな山形県の高校野球史に終止符を打ち、その後も記録更新を続けているのが、日大山形で指揮を執る、荒木準也監督である。

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「チームが勝つために何をすべきかを考えさせるのが僕の仕事」/ 横浜隼人 水谷哲也監督

現代の高校野球界にある、「私学であれば勝たなければならない」という世間の声に惑わされることなく、「人間教育」を重視して指導を続ける、横浜隼人高校の水谷哲也監督

全国屈指の激戦区神奈川に位置しながらも、中学時代に実績を残した有名選手を獲得し育成する「タレント野球」を行わず、人間教育から勝利を目指すスタイルは、テレビに取り上げられるほど評価が高い。

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「自分が調子が悪い、苦しい、ダメな時にどれだけ力を発揮できるか」/ 北海 平川敦監督

教育と勝利という両方の目的を指導の根本とし、伝統のある名門の新しい歴史を作り続けている、北海高校平川敦監督

1998年に母校の指揮を託され、翌年には甲子園出場を果たすも、以降は黄金時代を築きつつあった駒大苫小牧の壁に阻まれ、甲子園だけでなく、道内を勝ち抜くことすら厳しい状態に直面した。

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