「みんながいてくれたからこそ今の自分がある」/ 明桜 二木健選手

2009年の夏、13年ぶりに出場した甲子園の初戦で、延長12回の末、惜しくも敗れた秋田県の明桜高校。

当時、チームのエースを務めていたのは、秋田県予選、全試合663球を投げ抜き、チームを甲子園へ導く立役者となった二木健選手である。

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「人のためだと思えば、自分の壁を超えられる」/ 北海 鍵谷陽平選手

2008年の夏、低迷期を乗り越え、9年間遠ざかっていた甲子園に帰ってきた、北の名門、北海高校

当時、チーム復活の立役者となったのは、  最速146キロのストレートを武器に、南北海道大会をほぼ一人で投げ抜いたエースの鍵谷陽平選手である。

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「今日できなかったことをその日のうちに実行することが、成長するために大切なこと」/ 桐生第一 藤岡貴裕選手

2006年の夏の甲子園で16強進出を果した、群馬県の桐生第一高校。

当時、チームの控え野手として甲子園を経験し、翌年のセンバツではマウンドにも立ったのが、藤岡貴裕選手である。

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「甲子園は自分の力以上のものを引き出してくれた」/ 東洋大姫路 林崎遼選手

2006年の夏の甲子園で、ベスト8まで進出した、地元兵庫県代表の、東洋大姫路高校。

当時、チームの主軸を務めていたのは、甲子園での2本塁打を含む高校通算24本塁打を放つなどの記録を残した、林崎遼選手である。

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「苦しくても最後にはいいことが起きる」/ 神村学園 野上亮磨選手

2005年のセンバツ大会で、創部2年半ながら、準優勝を成し遂げた、鹿児島県の神村学園高校。

当時、チームのエースを務めていたのは、チーム唯一の本格的な投手として、決勝を含めた全ての試合に登板した、野上亮磨選手である。

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「自信がつくくらい練習すればいい」/ 智弁学園 坂下翔馬選手

2019年の夏の甲子園で、初戦敗退ながらも一時は6点差を逆転する粘り強さを見せた、奈良県の智弁学園高校。

当時、主将を務めていたのは、攻守にわたり、気持ちを前面に出したプレーを見せ、背中とガッツでチームを引っ張っていた坂下翔馬選手である。

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「マイナスの雰囲気を出して悩んでやるより、無我夢中になって楽しくやったほうが絶対にいい」/ 常葉大菊川 奈良間大己選手

2018年の夏の甲子園で、「ノーサイン野球」を武器に16強まで勝ち進んだ、静岡県の常葉大菊川高校。

当時、チームの主将を務めていたのは、静岡県大会で8割超える驚異的な打率を残し、甲子園でも攻守にわたる活躍を見せていた、奈良間大己選手である。

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「自分がイメージしてることを体で体現するということが大事」/ 横浜 増田珠選手

2017年の夏、激戦の神奈川を前年に続く大会最多本塁打を放つなどの圧倒的強さで連覇し、甲子園出場を果たした横浜高校

当時、チームの主軸を務めていたのは、広角に打ち分けるバッティングが持ち味で、高校通算33本塁打を放った増田珠選手である。

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「地道に続けていくことでメンタルが強くなる」/ 花咲徳栄 高橋昂也選手

2016年の甲子園に春夏連続出場し、選手権ではベスト16まで勝ち進んだ、埼玉県の花咲徳栄高校。

当時チームのエースを務めていたのは、最速152キロを誇り、「世代ナンバー1サウスポー」と称されていた、高橋昂也選手である。

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