「自分で考えることができる個人が完成して、初めてチームプレーがある」/ 日本文理 大井道夫監督

2009年の夏の甲子園で、球史に残る、最終回二死走者無しからの5点を挙げ1点差に迫る怒涛の追い上げを見せ、県勢初の準優勝を成し遂げた新潟県の日本文理高校。

そんな日本文理で1986年から2017年まで指揮をとり、春夏合わせて14度甲子園へ導いたのが、大井道夫監督である。

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監督就任12年目で、初めて出場した甲子園では、初戦で強豪、智弁和歌山に打ち込まれ、19失点の大敗を喫するなど、苦しいスタートではあった。

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しかし、大井監督は、「打てるチームでなければ、甲子園では勝てない」と試合を通して学んだことを持ち帰り、打撃中心のチーム作りを目指すようになった。

日々の練習では、打撃に7割の時間を割き、試合では送りバントによるアウトも嫌うなどの徹底ぶりは、後に、日本文理を「強打の文理」、大井監督は「 平成の攻めダルマ」と称されるまでになった。 

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そして、「打撃」の強化には、人任せにせず、全員に「責任感」を持たせるという狙いもあった。

チームプレーである以上、「誰かが活躍してくれれば勝てる」といった、消極的な気持ちや、責任感のなさが勝敗に影響すると考え、まずは、一人一人の完成を目指すように指導していた。

選手たち全員に「責任感」と「打力」が身についたことで、全国でも勝てるチームへと成長したのだろう。

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