「答えは監督が先に言っちゃダメ」/ 日本文理 大井道夫監督

「大逆転劇」でもなければ、「延長戦による死闘」でもないが、高校野球史に残る名勝負として語り継がれているのが、91回大会の日本文理中京大中京の決勝戦だ。

前評判どおりの圧倒的な強さで、試合を優位に進め6点差で最終回を迎えた中京大中京の優勝を誰もが確信した最終回の二死走者無しからドラマは始まったのだった。

球場に密かに広がる「諦めムード」を振り切るかのごとく、粘り強く、しぶとく、そして執念で5点を取り1点差にまで詰め寄るという怒涛の追い上げを繰り広げたのであった。

優勝にはあと1歩及ばなかったものの、場内には日本文理を讃える拍手が響き渡っていた。

そんな多くの高校野球ファンを魅了した日本文理の野球を基礎から作り上げたのが、大井道夫監督である。

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大井監督は、1986年から日本文理で指揮をとり、自身のスタイルである「攻撃型野球」を軸に、春夏合わせて14度の甲子園出場、09年夏の準優勝、14年夏の四強入りなど数々の記録と記憶を甲子園で残した名将である。

かつて甲子園を猛打で圧倒していた「攻めダルマ」こと池田高校蔦文也監督の野球を引き継ぐかのように、日本文理攻撃重視の野球を追求し続けていた。

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いつしか、練習も打撃に7割時間を割いたり、バンドによるアウトも嫌うまでになり、本家池田高校を上回る攻撃野球に、大井監督は「平成の攻めだるま」と称されていた。

大胆な指導に思われがちだが、大井監督は打撃野球を通して理由を考える力を選手たちに学ばせてるなど細かな工夫もしていた。

打てる時には打てる理由があるように、上手くいかない時や負けにも理由があり、それを考えることが野球の上達や社会での活躍に繋がるのだと伝え、打撃以外の面も野球から成長させていたのだった。

些細なことでも選手には「答え」を教えず、「考える力」を鍛えさせていたことで、日本文理は全国の強豪を倒すまでに進化したのだろう。

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