「緊張していることを認めろ」/ 常総学院 木内幸男監督

茨城県勢の高校野球史を彩る取手二高常総学院

その両校で監督として全国制覇を経験し、甲子園通算40勝という成績を残したのが名将木内幸男監督である。

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1984年には、KKコンビを擁するPL学園を延長の末破り県勢の初の全国制覇へ導くと、2001年センバツと03年夏は常総学院でも優勝した実績を持つ。

そんな木内監督の野球は、「木内マジック」と称されるほど、大胆な作戦や意表を突く選手起用などで甲子園を魅了していた。

木内マジック」の「タネ」は規格外の練習でもなく、全国から選手を集めるわけでもなく、選手たちの能力を最大限に引き出すものであった。

古くから茨城には「勝つ野球」ではなく「立派な野球」を目指し、教育の一環として野球を行う風習があった。

しかし、木内監督は、頑張った選手たちが「結果」を得られずに「教育」だけで終わってしまっていることに疑問を感じ、「勝つ野球」を目指し、茨城らしくない野球を目指していた。

日々の練習では選手を滅多に怒ることもせず、私生活でのミスに対しても注意することはなく、練習を休む選手でも試合で結果を残せばレギュラーに起用するなど、独特の指導法であった。

だが、その間も選手たちには「放任」と見せかけながら、性格や技術、勝負強さなど自チームを細かく「観察」しつくしていたのだった。

ヤンチャな選手には「」を与えるのではなく、2回目をさせないように「責任」を持たせたり、おとなしい選手には適度に声をかけるなど、選手一人一人にあった指導で「勝てるチーム」を育てていた。

この選手を「観察する」スタイルは試合でも続き、相手チームの癖や隙を見にいたり、自チームの選手の焦りや不安を読んだりし、時にわざと声に出したり、時に采配に活用したりと状況に応じて最善策になるよう使い分けていた。

選手たちに「できるようにさせる」のではなく、「できることをさせる」木内野球は、いつしか「マジック」と称されるようになったが、「観察力」の言い換えだったのだろう。

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