「忍耐力がつき、生涯の友人ができるのも高校野球です」/ 県岐阜商 藤田明宏監督

甲子園では、春夏合わせて4度の全国制覇と6度の準優勝を誇り、80を超える勝ち星を残している、名門、県立岐阜商業

私学勢が中心となっていった平成の時代には、5大会連続初戦敗退とやや苦しんだものの、10勝を挙げ、初出場時から長期間甲子園出場を逃すことなく安定して出場している。

そんな、名門を率いていたのが選手時代に県岐阜商の主将として甲子園を経験している、藤田明宏監督である。

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「選手に任すのは怖い面もあるけど、勇気を持たないとだめ」/ 津田学園 佐川竜朗監督

1996年のセンバツに甲子園初出場を果たすと、2度目の挑戦となった2002年のセンバツで初勝利を挙げた、三重県の津田学園

その後は、約15年甲子園からも遠ざかっていたものの、2017年に夏の甲子園初出場を果たし、初勝利を挙げると、2019年は春夏連続で甲子園出場するなど、近年再び力をつけている。

そんなチームを2008年から指揮しているのは、PL学園の選手として甲子園に出場し、社会人野球でのプレー経験も持つ佐川竜朗監督である。

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「無駄に思えることも必要だったんだと後から分かる時もあります」/ 智弁和歌山 中谷仁監督

平成最強と称されている大阪桐蔭と並んで、平成の時代に甲子園で春夏合わせて63の勝ち星を挙げている智弁和歌山

甲子園では、昭和63年の初出場後は5大会続けて初戦敗退というスタートであったが、6度目の挑戦で初勝利を挙げると、平成6年のセンバツで初優勝を果たし、9年、12年には選手権全国制覇を成し遂げている。

そんな名門、智弁和歌山を全国レベルの強豪に育て上げ、甲子園最多勝利監督の記録を残した高嶋仁監督からバトンを引き継ぎ、平成30年の秋からチームを指揮しているのが、中谷仁監督である。

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「悔しい負けを実感しないとわからないこともある」/ 近大附属 藤本博国監督

全国最多となる25度の甲子園優勝を記録している激戦区大阪で、毎年上位進出を続ける近大附属高校。

甲子園には、昭和42年のセンバツで初出場を果たすと、平成2年のセンバツでは、全国制覇を成し遂げた実績もあり、近畿圏だけでなく全国から注目を集める強豪である。

そんなチームを指揮しているのは、選手時代に主将として、近大附属史上初の夏の甲子園へチームを導いた経験を持つ藤本博国監督である。

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「選手の数だけ基本が存在している」/ 遊学館 山本雅弘監督

2002年の夏の選手権で、創部から1年4ヶ月という驚異的な早さで、甲子園出場を決めた、石川県の遊学館高校。

初出場初勝利を挙げると、勢いそのままに1・2年生の部員のみで8強まで勝ち進んだことで、全国から注目を集める存在となった。

そんなチームを指揮しているのが、同県の強豪である星稜のOBで、星稜の中学野球の監督として全国制覇へ導いた経験も持つ山本雅弘監督である。

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「勉強ができなくても頭は使える」/ 如水館 迫田穆成監督

広陵広島商業といった名門を筆頭に、中国地区で最多となる甲子園優勝を記録している、広島県。

そんな広島で、平成9年に甲子園初出場を果たし、23年の夏の選手権では八強入りするなど、県や地区だけでなく全国でも上位進出の実績を残しているのが、如水館高校である。

チームを指揮していたのは、広島商業で選手・監督として甲子園制覇を経験している迫田穆成監督である。

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「野球ができる子から、野球もできる子になることが大事」/ 中京大中京 大藤敏行監督

全国最多となる春夏合わせて、11回の全国制覇を誇る愛知の名門、中京大中京

甲子園で挙げた勝ち星は130を超え、ダントツの全国トップであり、春夏連覇や高校野球史上初の夏の甲子園3連覇などの記録も残している。

そんな名門で1990年から2010年まで指揮をとり、低迷しつつあったチームを立て直し、春夏合わせて9度(春5度、夏4度)の甲子園へ導いたのが大藤敏行監督である。

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