「人生は敗者復活戦」/ 池田 蔦文也監督

途切れなく響く打球の音から「やまびこ打線」と称された徳島県の池田高校。

名だたる強豪校を攻撃型野球で倒し、一時代を築いた公立の名門である。

そんな池田高校を全国レベルに育て上げたのが蔦文也監督である。

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「監督の言うことを素直に聞くような子は、監督を超えるような存在にならん」/ 箕島 尾藤公監督

70年代に黄金時代を築いた、和歌山の伝統校、箕島高校は公立高校で唯一の春夏連覇を成し遂げた名門である。 

春夏連覇校の記事はこちら。

センバツは三度、選手権は一度の全国制覇を誇る。

そんな全国レベルのチームへと育て上げたのが尾藤公監督である。

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「選手達がワクワクすることが必要」/花咲徳栄 岩井隆監督

21世紀に入り、甲子園常連校となり2017年の夏の甲子園には県勢の悲願でもある全国制覇を達成した花咲徳栄

そんなチームを指揮するのは、岩井隆監督である。

岩井隆監督

「思いこみの力は大きい」/ 済美 上甲正典監督

やればできるは魔法の合言葉」の校歌と創部から約2年で日本一を達成したことで、全国から注目を集める存在となったのが愛媛県の済美高校である。

済美は2002年に野球部を創部すると04年のセンバツに初出場を果たし、接戦ながらも強豪校を次々倒し、勢いそのままに全国制覇を成し遂げたのであった。

続く夏の甲子園も決勝まで勝ち進み準優勝で甲子園初出場から9連勝という驚異的な記録も残した。

そんな済美を強豪へと育て上げたのが、独特の采配や指導から「上甲マジック」とファンから親しまれていた、上甲正典監督である。

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「どこに向かって一生懸命やるかが大事」/ 東海大相模 門馬敬治監督

高校野球の「激戦区」として、毎年全国レベルの予選が繰り広げられる神奈川県。

県勢の甲子園での勝ち星は、夏は100回で126、春は90回で76、甲子園優勝経験校は5校と全国レベルのチームが群雄割拠する。

そんな神奈川で、春夏二度ずつ甲子園制覇をし、全国にその名を広めているのが、名門、東海大相模である。

そんな名門を指揮する門馬敬治監督は、1999年に監督就任後、翌年のセンバツを制すると、2010年選手権準優勝、11年春と15年夏は優勝するなど脅威の成績を残している。

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「練習試合は負けてもいい」/ 智弁学園 小坂将商監督

半世紀近く「奈良県の2強」として、天理高校と県を引っ張っている、名門智弁学園高校。

甲子園の常連校であり、甲子園最多勝利の記録を持つ、高嶋仁監督智弁和歌山前監督)が最初に指揮を執っていた学校としても有名である。

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「いいものはいい、ダメなものはダメ」/ 作新学院 小針崇宏監督

史上初めて甲子園で春夏連覇を成し遂げた栃木の名門、作新学院高校。

昭和30〜40年代にかけて、甲子園で躍進を続けていたものの、昭和の終わりから平成初期は甲子園でも勝てず、出場すら厳しい状態となっていた。

そんな、低迷期に監督として就任し、31年ぶりに夏の甲子園へチームを導いたのが、若き名将、小針崇宏監督である。

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「相手を出し抜くには、自らの気づきと知恵が必要なんです」/ 高松商 長尾健司監督

「四国四商」の一角として、徳島商松山商高知商、と共に野球王国四国を牽引している伝統校、高松商業

記念すべき第1回センバツ大会の制覇も含め、春夏甲子園4度の優勝を経験し、甲子園出場回数は、春夏合わせて40回以上など、数々の記録を残している。

そんな伝統校も平成8年を最後に20年間甲子園から遠ざかっていた。

しかし、2015年の神宮大会を制し、2016年のセンバツに出場を果たすと準優勝を成し遂げ復活を果たした。

そんな名門の復活の立役者となったのが、現在チームを指揮する長尾健司監督である。

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「本物とは、中身の濃い平凡なことを積み重ねること」/ 前橋育英 荒井直樹監督

2013年夏の選手権大会を初出場初優勝して以降、名門の仲間入りを果たした、群馬県の前橋育英高校。

下馬評ではノーマークであったものの、二年生エースを中心とした守りからリズムを作り、ワンチャンスで点を挙げ、6試合中4試合が1点差ゲームという接戦を制して、全国制覇を成し遂げたのであった。

そんなチームを指揮するのは、社会人野球も経験し、日大藤沢での指導歴もある荒井直樹監督である。

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