「夏は何が起こるか分かりません」/ 京都成章 松井常夫監督

1998年の夏の選手権で、甲子園初勝利を果たすと、勢いそのままに決勝まで勝ち進み準優勝を成し遂げた、京都成章高校。

決勝では、横浜高校にノーヒットノーランで敗れるも、全国制覇経験校を次々に倒したことで、全国から注目を浴びる存在となった。

その後は、一時的に甲子園から遠ざかっていたものの、11年センバツ、17年選手権に出場したことで、府大会では優勝候補の一角として認識されている。

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「自信が持てれば、プレーしていても楽しいです」/ 桐生第一 福田治男監督

平成3年のセンバツで初出場ながら8強入を果たすと、11年の夏の甲子園では、県勢初の全国制覇を成し遂げた桐生第一高校。

その後もコンスタントに甲子園へ出場し、15年夏には4強入りを果たすなど、数々の実績やプロ野球選手も輩出している強豪である。

そんなチームを1985年の創部時から指揮してきたのが、福田治男監督である。

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「見て学ぶということも大事なことです」/ 竜ヶ崎第一 飯塚親弘監督

茨城県勢として初めて甲子園の土を踏み、その後春夏合わせて10回の甲子園出場を誇る名門、竜ヶ崎第一高校。

大正時代には、5年連続甲子園出場を果たし、関東を代表する強豪として活躍していたものの、平成12年を最後に甲子園から遠ざかっている。

しかし、近年は、私学の全国レベルの高校に阻まれながらも、県大会では上位進出を続け、優勝候補にも名を連ね、名門復活を予感させている。

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「毎年3年生と同じ気持ちで監督をやろうと思っています」/ 宮崎日大 榊原聡一郎監督

宮崎県は、九州勢で唯一「全国制覇」の経験がないが、近年は、2009年夏には都城商が8強に、13年夏には延岡学園が準優勝するなど、全国でも上位進出しつつある。

また、単独県大会制が採用されて以降は、連続出場校が一校も存在しないほど、毎年熱戦が繰り広げられている。

そんな宮崎県で、甲子園には2回の出場し、県内では毎年上進出常連で、プロ野球選手も輩出しているのが、宮崎日大である。

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「強いチームよりも良いチームを作る」/ 奈良大付 田中一訓監督

全国制覇経験もある天理智弁学園の二強時代が長年続いている奈良県で、地区大会や県大会で上位進出をするも、何度も「後一歩」のところで、甲子園を逃してきた奈良大付属高校。

創立90年を迎えた高校野球100年のセンバツ大会で、悲願の甲子園出場を果たすと、3年後の100回の記念大会である夏の甲子園にも出場し、初戦を突破し初勝利を挙げた。

そんなチームを指揮しているのは、「高校球児の前に高校生」という指導方針を掲げている田中一訓監督である。

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「今出来ることをやるだけです」/ 池田 岡田康志監督

春夏合わせて甲子園で、40勝を超える勝ち星を挙げている名門、徳島県の池田高校

昭和49年のセンバツ大会での準優勝時には、「爽やかイレブン」の名で注目を浴びると、57年の夏の甲子園で初の全国制覇を成し遂げ翌年のセンバツも制して夏春連覇を達成。

バントや小技に頼らず、次々と積極的な打撃で得点を挙げる「やまびこ打線」で、高校野球ファンから親しまれている。

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「選手が僕以上のことをやらないと日本一っていうのはない」/ 星稜 山下智茂監督

石川県と北陸の高校野球野球の歴史を作ってきた、伝統校、星稜高校。

昭和47年夏の初出場から、箕島高校との延長18回の死闘や、明徳義塾戦の5打席連続敬遠、平成7年・令和元年の夏の甲子園準優勝など、数々の名勝負や記録を残している。

そんな名門で、38年間指揮を執り、春夏合わせて25回甲子園へ導いたのが名将、山下智茂監督である。

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「苦労したかどうかは、自分じゃなくて周りの評価で決まるもの」/ 東海大菅生 若林弘泰監督

1996年の甲子園初出場から、全国から注目を集める存在となった、東京の強豪、東海大菅生

2017年の夏の甲子園では、4大会連続初戦敗退の連敗を止め、勢いに乗り四強まで勝ち進んだ。

そんな東海大菅生を指揮しているのが、投手として社会人野球やプロの世界での経験がある、若林弘泰監督である。

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「やろうと思ったらどこでも練習はできるんです」/ 英明 香川智彦監督

かつては少人数の同好会からスタートし、創部6年で夏の甲子園に出場を決めた香川県の英明高校。

以降は甲子園にも春夏出場を経験し、四国大会の常連校ともなっている、「野球王国」と称される四国の新興勢力である。

そんな英明を指揮しているのが、香川県の強豪校での指導歴があり、丸亀城西では甲子園出場を経験している、香川智彦監督である。

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