「好きになってくれないと絶対上手になりませんからね」/ 常葉菊川 森下知幸監督

2007年のセンバツ大会で、優勝候補を次々と下し勢いそのままに、頂点に立った常葉菊川(現常葉大菊川)。

続く夏は甲子園四強、翌年の夏は甲子園準優勝を成し遂げるなど、初優勝時まで、甲子園で1度も勝てなかったチームは、一気に全国レベルの強豪校となった。

そんなチームを作り上げたのが、選手時代は浜松商業の主将として、センバツ大会を制した実績や、社会人野球でプレーしていた経験もある、森下知幸監督である。

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「技術で怒って萎縮させてもうまくいくはずない」/ 上田西 原公彦監督

県内ではベスト8の常連であり、常に優勝候補として期待されるも甲子園が遠かった上田西高校。

しかし、2013年の夏に、創部53年目にして初の甲子園出場を決めると、15年には、甲子園で初戦突破をし初勝利を挙げ、県や地区だけでなく、全国からも注目を浴びる存在となっている。

そんな、上田西を指揮しているのが原公彦監督である。

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「苦しい場面を乗り切るには選手たち自身の意思で動けないとだめ」/ 羽黒 小泉泰典監督

100回大会で、15年ぶりに甲子園に帰ってきた山形県の羽黒高校。

羽黒高校は、2003年夏に初の甲子園出場を果たすと、04年秋の神宮大会と、05年のセンバツ大会で四強進出するなど、全国での実績もある強豪校である。

そんな羽黒を、2012年から18年秋までチームを指揮していたのが、神奈川の名門、慶應義塾の出身の小泉泰典監督である。

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「敗戦は、自分を見つめ直すには、これ以上ない材料」/ 早稲田実業 和泉実監督

2006年の夏の甲子園で、駒大苫小牧との決勝戦引き分け再試合の大熱戦を制し、学校史上初の夏の甲子園での全国制覇を成し遂げた早稲田実業

激戦の東京に位置しながらも、春夏合わせて40を超える甲子園出場を記録し、センバツは1957年に、選手権は2006年に全国制覇の経験がある、高校野球界の名門である。

そんな、早稲田実業を92年から指揮をしているのが、OBの和泉実監督である。

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「心も体も汗をかくことを目指しているんです」/ 今治西 大野 康哉監督

甲子園で春夏合わせて10回の全国制覇を記録する愛媛県勢

私学が上位進出し始めた平成の時代も、愛媛県勢は公立が中心であった。

そんな公立勢で、安定した成績を残しているのが今治西高校である。

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「何かを捨て去ることも必要」/ 済々黌 池田満頼監督

1958年の30回記念のセンバツ大会で九州勢として初の甲子園制覇を成し遂げたのが、熊本県の済々黌である。

進学校でありながらも、甲子園には春夏合わせて10回以上の出場回数を誇る、熊本を代表する伝統校である。

そんな済々黌を2012年夏に18年ぶりに、13年のセンバツには55年ぶりの甲子園へ導いたのが池田満頼監督である。

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「追い込むんじゃなくて、我慢だね」/ クラーク記念国際 佐々木啓司監督

21世紀に入り、駒大苫小牧全国制覇を筆頭に高校野球界で躍進を続ける北海道勢。

そんな北海道に新たに誕生した強豪校が通信制であるクラーク記念国際だ。

2014年の春の創部時には、部員9人でラグビー場を拠点の活動スタートで、環境としては恵まれていなかったものの、様々な困難を克服し2年3ヶ月という驚異的なスピードで、16年の夏に北北海道代表として甲子園に出場を果たしたのだ。

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「大事なのは、他人と比べるのではなくどれだけ自分と勝負できるか」/ 近江 多賀章仁監督

近畿勢で唯一甲子園制覇の経験がない滋賀県勢。

そんな滋賀県で、全国制覇に最も近づいたのが近江高校である。

近畿を代表する強豪であり、甲子園常連としての知名度も高く、2001年の夏の甲子園では、「三本の矢」と称された3人投手を擁して、準優勝を成し遂げた実績も残している。

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「毎日、選手全員に声をかけるようにしています」/ 三重 中村好治監督

2014年に監督に就任すると、夏の甲子園では準優勝へとチームを導いた三重高校中村好治前監督

中村監督は、社会人野球の選手や監督の経験をはじめ、大学や高校での指導経験も豊富である。

そんな多くの指導や野球経験から、「選手は監督に声をかけられると嬉しいもの」という考えを持ち、監督就任後から毎日欠かさず、選手全員とコミュニケーションをとっていた。

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