「思いこみの力は大きい」/ 済美 上甲正典監督

やればできるは魔法の合言葉」の校歌と創部から約2年で日本一を達成したことで、全国から注目を集める存在となったのが愛媛県の済美高校である。

済美は2002年に野球部を創部すると04年のセンバツに初出場を果たし、接戦ながらも強豪校を次々倒し、勢いそのままに全国制覇を成し遂げたのであった。

続く夏の甲子園も決勝まで勝ち進み準優勝で甲子園初出場から9連勝という驚異的な記録も残した。

そんな済美を強豪へと育て上げたのが、独特の采配や指導から「上甲マジック」とファンから親しまれていた、上甲正典監督である。

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「どこに向かって一生懸命やるかが大事」/ 東海大相模 門馬敬治監督

高校野球の「激戦区」として、毎年全国レベルの予選が繰り広げられる神奈川県。

県勢の甲子園での勝ち星は、夏は100回で126、春は90回で76、甲子園優勝経験校は5校と全国レベルのチームが群雄割拠する。

そんな神奈川で、春夏二度ずつ甲子園制覇をし、全国にその名を広めているのが、名門、東海大相模である。

そんな名門を指揮する門馬敬治監督は、1999年に監督就任後、翌年のセンバツを制すると、2010年選手権準優勝、11年春と15年夏は優勝するなど脅威の成績を残している。

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「練習試合は負けてもいい」/ 智弁学園 小坂将商監督

半世紀近く「奈良県の2強」として、天理高校と県を引っ張っている、名門智弁学園高校。

甲子園の常連校であり、甲子園最多勝利の記録を持つ、高嶋仁監督智弁和歌山前監督)が最初に指揮を執っていた学校としても有名である。

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「いいものはいい、ダメなものはダメ」/ 作新学院 小針崇宏監督

史上初めて甲子園で春夏連覇を成し遂げた栃木の名門、作新学院高校。

昭和30〜40年代にかけて、甲子園で躍進を続けていたものの、昭和の終わりから平成初期は甲子園でも勝てず、出場すら厳しい状態となっていた。

そんな、低迷期に監督として就任し、31年ぶりに夏の甲子園へチームを導いたのが、若き名将、小針崇宏監督である。

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「本物とは、中身の濃い平凡なことを積み重ねること」/ 前橋育英 荒井直樹監督

2013年夏の選手権大会を初出場初優勝して以降、名門の仲間入りを果たした、群馬県の前橋育英高校。

下馬評ではノーマークであったものの、二年生エースを中心とした守りからリズムを作り、ワンチャンスで点を挙げ、6試合中4試合が1点差ゲームという接戦を制して、全国制覇を成し遂げたのであった。

そんなチームを指揮するのは、社会人野球も経験し、日大藤沢での指導歴もある荒井直樹監督である。

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「かがんだぶん、ジャンプしたときは大きかった」/ 駒大苫小牧 香田誉士史監督

2004年の夏に北海道勢として史上初の甲子園制覇を成し遂げた駒大苫小牧

翌年も甲子園を制し、史上6校目の夏連覇の偉業を達成すると、翌年は決勝で敗れたものの、夏の甲子園3年連続決勝進出という驚異的な成績を残した。

そんな駒大苫小牧を指揮していたのが、香田誉士史監督である。

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「指導者からの一方通行では、子どもは育ちません」/ 横浜 渡辺元智監督

高校野球史上「最強」と称された、松坂大輔投手を中心とした1998年の横浜高校

新チーム結成後、神宮大会センバツ選手権、国体を全勝し史上初の四冠を達成しただけでなく、春秋の地区大会も優勝するなど、公式戦一年間負けなしの成績を残した。

そんな名門を指揮していたのが、渡辺元智監督である。

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「三年間で付き合いが終わるような指導はしない」/ 広陵 中井哲之監督

甲子園んでは、センバツ大会を3度制し、春夏合わせて7度の準優勝を記録している広島の名門・広陵高校。

そんなチームを指揮するのは、広陵OBであり甲子園出場経験もある中井哲之監督である。

中井監督の指導は、「監督」である前に「教師」であるという考えから、野球ではなく、人を育てることに力を入れている。

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「方程式がないから、面白いんです」/ 日大三 小倉全由監督

代名詞でもある「強打」を軸に夏の甲子園を二度制覇している、強豪・日大三高

昭和の時代には、センバツ大会での初優勝と二度の準優勝から「春の三高」などとファンからは注目を集めていた。

そんな名門を指揮しているのは、関東一高での采配経験も持つ、名将・小倉全由監督である。

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